人生懸けた熱き勝負 山芋スーブ


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 日曜の朝。うるま市赤野にある畑の真ん中に、日焼けした男たちが集まってきた。赤野区周辺の男性でつくる「四つ葉会」の面々だ。目の前には、こんもりとした山のてっぺんに顔を出す山芋。「これは250キロは超えそうだな」「いやいや、もっとあるさ」。男たちは語り合う。

 この日は、一株からとれる山芋の重さを競う「第15回全沖縄やまいも勝負(スーブ)大会」。男たちはスコップを手に土を掘り始めた。「あり、まだ下にあるよ」「なとーん。なとーん(いいぞ、いいぞ)」。一掘りごとにどんどん現れるイモに、育てた山田正さん(57)はホクホク顔だ。

289キロ「あきさみよ~」
 会場はうるま市石川庁舎前広場。恐竜の手のようにごつごつした白山芋や、冬瓜(とうがん)のようになめらかな楕円(だえん)形の赤山芋、ジャガイモのようなミニサイズまで、75人の自慢の作品がずらりと並ぶ。「イモは飼い主に似るね」。そんな冗談も聞こえてくる。
 女性たちもやってきては「兄さん、このイモはいくら?」と、正月用に買い求める。寒風吹きすさぶ冬空の下でも、会場はにぎやかだ。
 山田さんの山芋が広場に運ばれると、男たちは計量器を取り囲み、電子モニターを固唾(かたず)をのんで見守る。記録は289.4キロ。2位に150キロ以上の差をつけての優勝だ。「あきさみよ~」「すごいね~」。積んだ芋と山田さんを前に撮影会が始まった。

掘る瞬間を夢見て
 四つ葉会の照屋健さん(58)は「掘る瞬間がたまらない」と語る。仕事では朝5時に起きるけれど、この日は4時に目が覚めた。「スコップで掘る時、たまらなくワクワクする。だからやめられないんだ」
 種芋を植えるのは、清明祭(シーミー)の時季が過ぎた5月前半。山田さんが12メートル四方の畑に植えるのは、わずか一株。食べるためより勝負のため。根がよく張るように土を入念に耕し、大安の日を選んで植える。「まぎーないみそーりよー(大きくなってください)」と声を掛ける。
 土に灰やイカスミを混ぜてみたり、散水時間を変えてみたりと、ライバルの畑を横目で見ながら試行錯誤を重ねる。仲間や地域のお年寄りとも酒を囲みながら、山芋を通して話が弾む。

イモ命
 白芋部門で1位に返り咲いた幸地宗太郎さん(90)は山芋歴30年のベテラン。優勝旗を受け取る歩みも力強い。家族の朝食を作った後、朝7時半から畑に出て、他の野菜とともに山芋栽培に精を出す。「葉を見れば、何が欲しいかすぐ分かる。山芋はね、自分の命よりも大切。カジマヤーまでは続けたいね」と、少年のような笑顔を見せた。男たちの人生を懸けた山芋スーブは今年も、熱かった。文・大城和賀子
写真・渡慶次哲三

◆区の自慢、団結の行事/伊波光徳さん(うるま市石川伊波区老人会長)
 山芋勝負(スーブ)は1947~8年ごろ、旧石川市(現うるま市)の伊波区から始まった。戦後すぐの食べ物のない時代に、伊波城跡のたもとに住む班の住民が畑を開墾して山芋栽培を始め、徐々に区全体に広まった。
 伊波区のスーブは、班の役員会を兼ねている。毎年12月に役員の家や公民館に掘りたての山芋を持ち寄り、ゆでた三枚肉とともに山芋料理を班の全員で味わう。無事に年を越せることを喜び合い、夜はそのまま酒を囲んでの忘年会になる。
 国頭村辺土名や読谷村など県内各地から視察に訪れ、種芋をもらって帰っていった。今では国頭村、今帰仁村、本部町、恩納村、読谷村など本島中北部各地に広まり、根付いている。
 伊波で始まったスーブが各地に広がっているのはうれしいし、自慢だ。山芋スーブがないと区の団結が崩れてしまう。

山芋の大きさを確認しながら掘り進める、山田正さん(左端)と四つ葉会のメンバー=15日、うるま市赤野
計量器の上に積まれた山芋を取り囲み、「優勝候補」の記録を確認する参加者たち=15日、うるま市石川庁舎前
伊波光徳さん