日本復帰から50年、沖縄県民は何を思うのか。祖国復帰闘争の碑が立つ国頭村辺戸岬、新基地建設が進む名護市辺野古、若者が集う北谷町美浜のアメリカンビレッジ…県内各地で聞いた。
祖国復帰闘争の碑が立つ国頭村の辺戸岬。強い風雨が打ちつける中、復帰50年に思いをはせる人の姿があった。復帰の日を知らずに訪れたという観光客らもいた。復帰を願い1968年の海上集会に参加した金城健一さん(77)と妻の弘子さん(76)=大宜味村=は、基地負担を強い続ける政府への憤りをしたためた川柳を読み上げた。「辺戸岬の 怒り届かぬ 永田町」。健一さんは「悲嘆に暮れず行動する若者が沖縄にはいる。未来に希望をつなぐ」と力を込めた。
新基地建設が進む名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前。15日午前は土砂を搬入する大型車両や抗議をする市民の姿は確認されなかったが、県外から訪れた人たちが新基地建設の現場を見ようと足を運んだ。
小雨の中を案内していた男性(65)は反対の民意が示されても工事が進んでいる状況などを説明。「復帰闘争の時に目指していた沖縄の姿と現状がかけ離れている。辺野古の問題をもっと県外の人に伝えたい」と訴えた。
大雨のため、通常の週末よりも訪れる人が少なかった北谷町美浜のアメリカンビレッジ。家族で映画を見に来た女性(39)=沖縄市=は「沖縄が過重に背負っているものをみんなで分けてほしいだけなんですけどね」と、50年前から変わらない基地負担を嘆く。「県民が願う平和な沖縄になってほしい」と強調した。
関西地方から訪れたカップルは、沖縄が日本復帰50年を迎えたことについて「(記念日とは)全然分からなかったが、おめでたい日ですね」と笑顔を見せた。
米軍嘉手納基地に隣接し、外国人向けの店舗が並ぶ沖縄市のゲート通り。雨が降る中、いつものように米軍関係者が歩く姿があった。
通りで店を営む男性(88)=沖縄市=は「約20年間、基地従業員として働き、コザ騒動も目の前で見た。にぎやかな時代だった」と振り返りつつ「戦争のない平和な沖縄になってほしい」と思いを込めた。
30代の米国人男性は「沖縄の歴史に興味がある。今日は沖縄の人にとって特別な日なのだろう」と思いを巡らせた。
1972年の復帰当日、那覇市民会館では復帰記念式典が、隣接する与儀公園では基地付きの復帰に抗議する県民大会が開かれた。半世紀の節目を迎えた15日は散歩する人々が見られ、穏やかな時が流れていた。
72年の県民大会に学生として参加した元県議の奥平一夫さん(72)=宮古島市=は与儀公園を再訪。復帰50周年記念式典に招待されたが「素直に喜べない」と断った。「経済的には豊かになったが、基地の重荷から解き放たれていない」と顔を曇らせた。
糸満市の平和祈念公園では、平和の礎に刻まれた名前を見つめる人々の姿があった。
男性(65)は「(国際情勢を受け)国は戦争の準備を進め、世論も軍事で対抗すべきだという考えになりつつある。これだけの人が亡くなったことを受け止め直すべきだ」と涙を浮かべた。
神奈川県から訪れた女性(45)は「国のトップを間違えると、いつ戦争が起きてもおかしくない」と、危機感をあらわにした。
(岩切美穂、長嶺晃太朗、石井恵理菜、新垣若菜、伊佐尚記、比嘉璃子)