野球に夢中、車いすの副主将 伊波クラブの山城来君


この記事を書いた人 志良堂 仁

 【うるま】「野球が好き」という思いを胸に、10月31日、うるま市与那城多種目球技場で開かれた学童軟式野球大会の開会式を、車いすで行進した選手がいた。伊波ベースボールクラブ副キャプテンで背番号3の山城来君(12)=うるま市立伊波小6年=だ。脳性まひで手足に障がいがある。将来は「野球評論家になりたい」と熱く語る。

山城来君(左から3人目)とチームメート。山城君は「みんな優しい」と話す=10月31日、勝連総合グラウンド(明真南斗撮影)

 大会初出場のチームの1回戦で、スコアをつける役を担った。「前より正確に書けて自分でもびっくりした」と笑顔を見せた。
 幼いころは闘牛が好きだった山城君。自分の目で見た球児が甲子園に出場したのをきっかけに、野球のかっこよさに引かれた。
 その年の冬、入院していた県立南部医療センター・こども医療センターを慰問に訪れた阪神タイガースの鳥谷敬選手に会い、プロ野球への熱も高まった。
 阪神タイガース、特に西岡剛選手のファンだ。部屋には毎年のキャンプで集めた約40個のサインボールと20枚の色紙が飾られている。野球の知識は抜群で、変化球の種類や野球のルール、米メジャーリーグと日本のプロ野球の違いなどをインターネットで調べて勉強している。
 野球への熱は冷めやらず、やがて「自分でやりたい」との思いが強くなった。
 チームに入ったのは約1年前。結成して半年のチームの見学に行くと、玉城幸雄監督が「一緒にやろう」と声を掛けた。実際に「キャッチボールをしたり、バッティングの練習を手伝ったりすると、もっと楽しかった」と笑う。
 両親の結婚後、14年目に生まれた来君は未熟児で1160グラムだった。退院直前の検査で障がいがある可能性を医師から説明された母親の由美さんは「覚悟をしておいて」と言われたと振り返る。
 保育園、幼稚園、小学校を“普通学校”に通い「本人がやりたいように」(由美さん)暮らしている。以前は見るだけだった野球も「伊波ベースボールクラブだからできた。感謝している」と涙を抑える。
 来年からの進路は市立伊波中と県立泡瀬特別支援学校の間で「伊波中は友達がいっぱいいる。泡瀬は自分のペースで勉強できる」と迷っているが、泡瀬特別支援学校へ進む予定だ。
 手術も予定しており、山城君は「聞いただけで怖い」と耳をふさいで肩をすくませる。将来の夢をかなえるため、まずは高校でマネジャーとして甲子園に行くことが目標。「中学3年になった時に、どこのチームが強いかを見て高校を選ぶ。そのために野球の勉強を頑張る」と決意を語った。(東江亜季子)