“祈りの島”未来へ 宮古・大神島、初の地域誌作り


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 金城 潤
映像に見入り、大神島の歴史に思いをはせる住民や島出身者ら=1日午後、大神島離島振興コミュニティセンター

 【大神島=宮古島】宮古島市の大神島で初の地域誌作りが始まっている。高齢化で島の歴史を知る人が減る中「これが島の記録をまとめられる最後の機会になる」と地域史に対する関係者の思いは強い。元日には約20年にわたり大神島を撮ってきた写真家・比嘉豊光さんが島の言葉で記録してきた映像の上映があり、参加者は既に亡くなった人もいる出演者の顔を見ながら、島の歴史を振り返った。住民や郷友も巻き込んだ活動が動き出した。

 大神島は宮古島の北東約4キロにある島。祖神祭(ウヤガン)などの祭祀(さいし)に代表される「祈りの島」としても知られる。人が住み始めて約200年ともいわれる島の歴史は秘祭がある関係で、住民が外部の研究者による調査を拒んできた経緯もあり、これまで住民間の口承を中心に行われてきた。だが、現在の人口は30人弱で最盛期だった1950年代の6分の1ほどになった。人口の流出とともに、島の歴史を知る高齢者の減少も進み、継承は途絶えがちになっている。
 「このままでは島に人が暮らした歴史がなくなる」。危機感を募らせた住民や写真家、研究者らが連携し字誌作りを企画した。
 具体的な内容は今後検討されるが、小冊子に近いもので島の歴史や日々の暮らし、年中行事、方言など、住民の「息づかい」が感じられる、生活史に近い内容を目指すという。
 大神自治会の久貝愛子会長は「高齢者から話を聞き取り、まとめられる最後のタイミング。島の歴史を記録し、今後大神島に関心を持った人に伝えられるようにしたい」と語った。
 1日に開かれた上映会は、個人個人が持っていた島の歴史を掘り起こす作業の一環だ。正月を故郷で迎えるため帰省した出身者も含め約40人が参加し、島の歴史に思いをはせた。
 那覇市から帰省していた狩俣芳美さん(55)は「亡くなったおじー、おばーや懐かしい人に会えた。母が子どもの時話してくれた話などを思い出した」と目頭を押さえた。
 上映会を企画した宮古島市のライター・下地恵子さん(60)は「いつかこの島から人がいなくなるかもしれないという危機感が、記録を残す気持ちにつながっている。島には秘祭もあり、いろんな調査を拒んできた歴史がある。島で生きた人たちの記録を残すことは、民俗史としても貴重なものになる」と意義を語った。
 (知念征尚)