42年前、米兵に母を殺された… 辺野古住民の金城さん「基地ある限り必ず起きる」 


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「基地がある限り必ず事件が起きる」と話す金城武政さん=名護市辺野古

 「この怒りをどうしたらいいか」。米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古に住む金城武政さん(59)は、米軍属女性遺棄事件に対し、怒りで体を震わせる。42年前、母親を米軍キャンプ・シュワブ所属の米兵にコンクリートブロック片で殴り殺された。「『またか』じゃない。基地がある限り『必ず』起きるんだ」。繰り返される米軍関係者による事件に、口を一文字に結び、悔しそうに眉間にしわを寄せる。米軍キャンプ・シュワブゲート前で、辺野古新基地建設に反対する座り込みにも参加し続ける金城さんは「これ以上“人殺しの沖縄”をつくりたくない」と訴えている。

米兵による強盗殺人事件を報じる当時の琉球新報紙面

 1974年10月。金城さんの母・富子さんが経営していたバーに米兵が強盗目的で押し入り、無抵抗の富子さんの頭をブロック片で殴った。奪ったのは約10ドルだった。当時高校生だった金城さんはバーの2階にある自分の部屋にいたが、弟の知らせでようやく惨事に気付いた。

 急いでバーに向かうと、血の付いたブロック片だけが床に転がっていた。被害に対する補償金は支払われたが、米軍や日本政府から謝罪の言葉も、事件の詳細も知らされなかった。「完全になめている」。母親を突然奪われた怒りと悲しみ、誠意のない日米両政府の対応に唇をかんだ。

 昼は布団屋、夜はバー。働き者の富子さんはぐっすり眠るいとまもなかった。襲われた時は、客のいない店でうたた寝していた。事件前から米軍基地には反対していた金城さんは、母が米兵相手の店を開くことに反対していた。だが、富子さんは家計のために店の開店準備を進めた。「あの時もっと必死で止めていたら」

 「彼女ができたら連れてきなさいよ」。優しくほほ笑みながら何でも相談に乗ってくれる母親が大好きだった。突然、最愛の母を失った金城さんは「ずっと心の整理が付かず、1人で泣いていた」と振り返る。「(米軍属女性遺棄事件の)遺族の方もきっと落ち着いて考える時間が必要だ。過度な取材や過剰に関心を向けるのは控えるべきだ」

 「悲劇の主人公」と思われるのが嫌で、事件について長年口を閉ざしていた。だが、今回の事件を受け、「居ても立ってもいられなくなった」。事件後も、日本政府は新基地建設の計画を推進し、日米地位協定も変えようとしない。「日本政府はもう信用できない。基地撤去の声を上げなくては」。42年前と変わらない不条理を前に、金城さんは声を上げ続ける。(田吹遥子)