身元不明の県人7人の氏名公表 ハワイ慰霊祭前に実行委


社会
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ハワイ捕虜収容所沖縄出身戦没者慰霊祭への参加を呼び掛ける実行委員会のメンバーら=19日、県庁

 1945年に沖縄からハワイに捕虜として移送され、現地で亡くなった県人の慰霊祭を計画している「ハワイ捕虜収容所沖縄出身戦没者慰霊祭」実行委員会(渡口彦信、高山朝光・共同代表)は19日、県庁で記者会見を開き、ハワイ・オアフ島で6月4日(現地時間)に開催する慰霊祭への県民の参加を呼び掛けた。

 45年7月から46年12月までオアフ島の収容所に収容された渡口共同代表は、戦後再びハワイを訪れた際に県出身者の墓があるとされた場所を訪ねたが、見つからなかったという。渡口共同代表は死亡と記された県人12人のカルテを入手し、国に遺骨の行方を問い合わせるなど活動してきた。

 83年11月30日付の本紙報道によると、死者は米軍基地のスコーフィールド内に埋葬されたが、46年内には拡張工事などに伴い、墓標は撤去されたという。県人の遺骨については、沖縄に戻ったという記録は確認されていない。

 実行委は現地時間の6月4日午後3時から、ホノルル市の慈光園(本願寺)で慰霊祭を実施する。渡口共同代表らは「ハワイの天空をさまよっているであろう方々の魂を慰めるのが、生きている者の役目。多くの県民にも知ってほしい」と語り、慰霊祭参加や開催のための募金を呼び掛けた。問い合わせは実行委(電話)098(887)0016。

 実行委が公開した身元未判明の県人名は次の通り。(敬称略)

 赤嶺シンソー(45年7月22日死去)、石川リョウトク(軍属・同9月12日死去)、安里アンソー(同8月10日死去)、我那覇セイテイ(軍属・同7月31日死去)、田場ノリタカ(軍属・同12月2日死去)、宮里ジロー(軍属・同8月10日死去)、山城セイケイ(軍属・同7月22日死去)

英文へ→Committee to hold memorial service for Okinawa-born war dead in Hawaii