部品落下事故から半年 安全な空 いつになれば 園児頭上に連日、米軍機


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汚れてもいい「どろんこパンツ」に着替え、はだしで元気に遊ぶ児童たち=6日、宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園

 宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園の屋根に米軍ヘリの部品カバーが落下した事故から、7日で半年がたった。事故後、父母は原因究明や園上空の飛行禁止を日本政府などに嘆願した。賛同する署名は今も県内外から寄せられ、2日時点で約13万7千筆に達した。同じく米軍ヘリの窓落下事故があった普天間第二小の保護者らとの連携も進め、安全確保を求める声を広げる。しかし、今も園児の頭上を連日米軍機が飛び交い、父母が訴える「安全な空」には程遠い状況が続く。

 雲の切れ間から日光が差す6日午前9時50分ごろ。「バタバタバタバタ」。1~6歳の児童約50人がシャボン玉を作って遊ぶ園庭の上空付近を、1機の米軍ヘリが旋回音を立てて通過した。しかし、空を見上げる園児はいない。米軍機の飛行は、子どもたちにとって日常の一コマだ。

■後遺症

 一方、子どもたちの安全を守る立場の大人には、事故の後遺症が根深く残る。園で27年間働く保育士の名護あや子さん(47)は、2日にあった父母や卒園生らの集まりで、事故当日に恐怖で手が震えて保護者に電子メールを送れなかったとの話をしたら、不意に涙があふれてきた。「今でもショックを受けてることに、初めて気付いた」。父母会の知念有希子会長(39)も「当日のことを話すと、今でもトラウマ(心的外傷)のような感覚がよみがえる」と話す。

 米軍は今も部品落下の事実を認めず、県警の捜査も進んでいない。依然として「自作自演だ」と園を罵倒する中傷電話もある。父母や卒園生らでつくる「チーム緑ヶ丘1207」は、今月中にも沖縄防衛局と外務省沖縄事務所、県、市を訪ね、原因究明や園上空の飛行禁止などを求める陳情書を提出する考えだ。

■広がる当事者意識

 「米軍機が落ちて、子どもが犠牲になってからでは遅い」「見て見ぬふりをしてたら何も変わらない。声を上げる必要がある」

 5月25日夜、市内の喜友名公民館で緑ヶ丘保育園と普天間第二小の保護者、同小の元教員、毎月OBら約10人が集まり、子どもの安全を確保するため、率直な意見を交わした。会の名前は「子どものお空を守る会」。チーム緑ヶ丘の呼び掛けで4月に始まり、毎月第4金曜日に開いている。この日は2回目の開催だった。

 参加者からは「事故があったから当事者ではなく、一人でも多くの人に自分も当事者という意識を持ってもらいたい」「宜野湾からこういう集まりを広げていきたい」という賛同を広げる必要性を訴える声が多く聞かれた。

 チーム緑ヶ丘の宮城智子会長(48)は「子どもの安全を守るというテーマなら、立場も関係なく話がしやすいと思い立ち上げた。じわじわとつながりができてきている」と手応えを語り、今後も開催を続けていくつもりだ。 (長嶺真輝)