沖縄戦「地獄のようだった」 元鉄血勤皇隊員が体験語る 不戦への決意強調


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 沖縄戦の激戦地「シュガーローフ」から第32軍司令部壕跡のある首里城公園までの約5キロの道のりを歩く平和学習ウオーク(県平和祈念資料館友の会主催)が13日、那覇市内であった。沖縄師範学校本科1年時に鉄血勤皇隊として沖縄戦を経験した儀間昭男さん(91)=那覇市安里=がひめゆりピースホールで講話した。「地獄のようだった。戦争を生む基地を造ることは許されない」と力を込めた。

元鉄血勤皇隊として経験した沖縄戦を語る儀間昭男さん=13日、那覇市安里のひめゆりピースホール

 野戦築城隊として、首里城周辺の壕の整備をしていた儀間さんが、戦況を目の当たりにしたのは、軍が南部に撤退する1945年5月27日。「壕を出ると道や交差点のあちこちに死体が折り重なっていた。地獄以外に言いようがない」

 3日間ほどかけて糸満市摩文仁に到着すると、サトウキビ畑があり「初めて生きた心地がした」と振り返る。ただ、しばらくすると米軍の攻撃が始まり、辺りは焼け野原に。負傷し、道ばたに倒れ込む日本兵からは「殺してくれ、殺してちょうだい」と懇願されたが「私も人間性を失っていた。ただただ、海岸を目指した」という。

 海岸では、日本兵や住民が身を潜めていた。米兵に囲まれ、投降せざるを得なかった。「死ぬ覚悟はできていた。それが当時の教育。自分だけが生き残り、死んだ友人たちに申し訳なかった」と語る。

 戦後、小学校教諭などを務めた儀間さん。現在は毎週月曜の朝に、安里交差点で名護市辺野古の新基地建設に反対する活動をしている。儀間さんは「戦争を起こすのも人間なら、止めるのも人間。自分の経験を若い人たちに伝えていかなければならない」と力を込めた。