亡き兄へ鎮魂歌  声楽家・田本さん きょう農林健児之塔慰霊祭


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「人に勇気や生きる力を与えるのが音楽の力。歌を通して沖縄から平和の尊さを発信したい」と語る田本徹さん=14日、那覇市内

 平和への祈りを歌に乗せて―。沖縄戦で犠牲となった県立農林学校の生徒や教員を追悼するため15日に嘉手納町の農林健児之塔で行われる慰霊祭で、声楽家の田本徹さん(81)=石垣市=が鎮魂の思いを込め、「えんどうの花」と「なんた浜」を独唱する。田本さんの兄・清さん(享年18)は鉄血勤皇隊の一員で、1945年3月28日に米軍の銃撃を受け、同校初の犠牲者となった。「兄や皆さんの死を無駄にはさせません」。田本さんは慰霊碑を前に歌い、そう誓うつもりだ。

 田本さんは石垣市の生まれ。両親と6男4女の12人家族の五男で、三男の清さん以外にも、母と弟、妹を戦争マラリアで失った。

 清さんは42年に県立農林学校に41期生として入学した。「きょうだいの中でも聡明(そうめい)で、将来を期待されていた」(田本さん)という。米軍上陸直前の45年3月26日、鉄血勤皇隊農林学校隊が組織され、陸軍2等兵として入隊した清さんは2日後に戦死した。

 当時の状況について田本さんが瀬名波榮喜さん(名桜大学前学長)ら兄の同窓生から聞いた話によると、清さんは炊事当番で、煙を察知した米軍の機銃掃射に遭い、比謝川近くで被弾したという。

 「比謝川の たなが(手長エビ)をとりし かのおとこ いつかうるまの はなとちりらむ」

 清さんは亡くなる前日に歌をしたためており、この歌は県立農林学校同窓会により「辞世の句」として、健児之搭近くにある石碑に刻まれている。

 「責任感が強い人だったからこそ、国のために死の覚悟を持って戦場へ臨んだのだろう」。田本さんは誤った教育が多くの若者を戦場へ送り込み、尊い命を奪う結果を招いたと指摘し、二度と同じ過ちを繰り返すまいと力を込めた。

 慰霊祭では同郷で敬愛する宮良長包の作品を、ピアノ伴奏に合わせて独唱する。「戦争で亡くなった方々も、きっと口ずさんだことがある名曲だ。兄さんたちも一緒に歌ってくれますかね」。田本さんは平和と祈りの歌が届くよう、嘉手納の丘から心を込めて歌う。 (当銘千絵)