辺野古区民の会解散 活動18年に終止符 反対運動新たなスタート


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
「命を守る会」から18年続いた運動の歴史を写した写真を紹介する西川征夫さん=11日、名護市辺野古の「ヘリ基地建設に反対する辺野古区民の会」事務所

 【名護】米軍普天間飛行場の返還合意から12日で19年。合意翌年に結成した「命を守る会」から続く市民団体が、4月でいったん18年の活動に終止符を打ち、新たなスタートに立つ。会員の高齢化や、区を挙げて移設反対を訴える行動を目指すためだ。辺野古移設に反対の区民らでつくる「ヘリ基地建設に反対する辺野古区民の会」代表の西川征夫さん(70)は「これからは辺野古区として反対を訴える方向で活動したい」と思いを新たにしている。

 普天間飛行場の辺野古への移設が取り沙汰された1996年11月。「移設阻止に向けてやるしかない」と15人の仲間と共に動き出した。97年1月27日、区民など30人で「命を守る会」を結成。移設反対の署名を皮切りに活動を展開した。
 活動拠点として、辺野古漁港前にテントを1張り設置した。辺野古の海を守ろうと詰め掛けた区民であふれ返ったため、プレハブの事務所に拡張した。事務所は時にお年寄りの憩いの場になり、時には区外から来た学生たちの学習の場になりながら運動を支えた。
 一方で、区内は条件付き容認と反対で二分された。市が条件付きで移設を受け入れて以降は表立って会の活動に参加する区民が減った。「会のメンバーはいつの間にかいなくなっていった。役員になったら周りから何か言われるからと誰も役員をやりたがらず、『逃げ勝負』になった時期もあったよ」と西川さんは振り返る。
 自身も病で会を退いた時期もあった。それでも「この地域に基地を造らせたくない」との思いから再び会に戻り、活動を存続した。14年には名称を「ヘリ基地建設に反対する辺野古区民の会」に変更し、座り込みではなく区内の調整を中心に活動を続けてきた。
 18年の歳月は長い。西川さんは事務所に保管されていた「命を守る会」からの写真をめくりながら、「涙が出てくるよ」と目を潤ませた。一緒に写るのは一時期会長を務めた故・金城祐治さん。思い半ばで亡くなった人も多かった。
 辺野古を取り巻く環境も変わった。11年前は阻止した掘削調査が現在は進められる一方で、市長選、知事選と辺野古移設反対の候補者が当選した。「知事も反対、市も反対。次は辺野古区が動く番だ」と西川さんは指摘する。「区民同士の争いはもうやめたい。今度は区長を中心に区民一丸となって、移設反対を訴えるために動きたい」。共に闘った仲間の思いを胸に、移設阻止に向けた活動は続く。(田吹遥子)