過去の大会


                                    第5回世界のウチナーンチュ大会特集ページ

過去の大会

■第1回大会

 世界各地に居住する県系人が一堂に会する世界のウチナーンチュ大会が、初めて開催されたのは1990年。「世界のウチナーンチュのネットワークづくり」を目的に、海外19カ国から移民1世、2世を中心に2400人が参加した。
 記念すべき第1回目の大会では、「万国津梁の鐘」除幕・打ち鳴らし式や「民間大使」の認証式が行われた。
 前夜祭パレードで西銘順治県知事(当時)は「ウチナーンチュが在住国で活躍し、海外における日系人評価を高めていることは大きな喜びであり、誇りとするところ。戦前の沖縄経済の疲弊を救い、終戦直後の復興を物心両面から支えてくれたことも県民は忘れない。移住百年の歴史を踏みしめながら新しい世紀を展望していきたい」と述べ、移住国で苦労しながらも活躍したウチナーンチュの功績をたたえ、感謝の意を込めてあいさつした。
 県は大会を記念し、海外に雄飛し活躍するウチナーンチュ精神の象徴として「万国津梁の鐘」のレプリカと鐘楼を制作。また、大会にちなみ、ネットワークづくりの核として「ウチナーンチュ民間大使」を新設して、世界各地で活躍する県人もしくは沖縄にゆかりのある人たち100人を認証した。
 海外からの大会参加者には、生まれて初めて両親の古里の地を踏んだという人や数十年振りに生地を訪れた人なども多く、古里沖縄の県を挙げた熱い歓迎を喜んだ。

      

レセプションが進むにしたがって、自国のダンスを披露する               フィナーレ(1990-08-26)
参加者(1990-08-24)


        フィナーレ(1990-08-26)

■第2回大会

 第2回は、戦後50年事業の締めくくりに位置付けられ、日本の「南における交際交流拠点」を図る目的で実施された。県系人、県にゆかりのある外国人など25カ国から約3400人(県発表)が参加した。交流を前面に打ち出した前大会から一歩踏み込み、「さらなる国際交流のネットワーク構築」を目指して開催された。
 大田昌秀県知事(当時)は開会宣言で「古里沖縄へようこそ。世界各地にいる30万人の県系人は政治経済、文化など各界で目覚ましい活躍を遂げ、移住国の発展、振興に寄与し、国際交流の懸け橋として貢献している」と海外ウチナーンチュの功績をたたえ、世界に広がる県系人らを「沖縄の貴重な財産」として県内外にアピールした。
 大会で初めて開かれた「民間大使会議」「ワールド・ウチナーンチュフォーラム講演会」「海外県人会会長会議」では、遠く離れた外国での母県・沖縄の情報不足が話題に上り、情報網整備や後継者育成、伝統文化継承などが確認された。また、「国際情報センター」の設立や多言語に対応できる人材など、県が目指す国際交流の拠点づくりとなる提言も相次いだ。
 第1回大会に比べ、移住者同士の意見交換の場、移住者の意見を聞く場を設けたことで、大会は有意義だったと評価された。一方で、県民参加型のイベントが少なかったことや、会場の収容能力から参加希望の県民の受け入れられなかったという課題も浮き彫りになった。


  第2回世界のウチナーンチュ大会(1995-11-16)

■第3回大会

 5年ごとに開催される世界のウチナーンチュ大会の第3回は、沖縄で行われたG8サミット(主要国首脳会議)とかち合ったため、2001年に延期された。さらに米中枢同時テロと不況の影響もあり、参加者のキャンセルなど不安続きだった。だが、不安をよそに、世界28カ国から約4000人のウチナーンチュが集い、無事開催された。
 開会式で稲嶺恵一県知事(当時)は「大会は世界各国に広がるウチナーンチュと沖縄を愛する人々をネットワークで結び、世代を超えて沖縄の伝統文化を継承し、互いの絆を深めることで、相互の発展に寄与することが大きな目的。これがひいては日本が世界の平和、繁栄に貢献する礎になると思う。世界に広がるウチナーネットワークは、私たちにとってまことに力強い貴重な財産」とあいさつした。
 第3回大会は、若い世代へのアイデンティティーの継承とともに、県人のネットワークを通じた経済交流も主要テーマに上がった。初めて「世界の沖縄女性フォーラム」なども開催。「ウチナーンチュ」をキーワードに先進国と途上国の抱える経済的な格差、因習の問題と女性の役割、世代間の考え方の溝、文化歴史、日本語教育の問題などテーマに広がりがみられた。

      
        カチャーシー (2001-11-04)                           国旗(2001-11-01)

      
           若者たち(2001-11-04)                             大会開幕(2001-11-01)

■第4回大会

 1世、2世から3世、4世へと移住者社会の世代交代が進む中で開かれた第4回(2006年)は、21カ国から約4400人の県系人が集って開催された。
 1世から6世まで広がる県系人は約36万人(当時)を数えると言われ、その広がりと共に希薄になってしまった母県・沖縄とのつながりを確かめ合う事業が盛り込まれた。前大会に続き、経済交流なども盛んだった第4回は、3世、4世ら若い人たちが一段と輝いていたのが印象的と評価された。
 開会式で稲嶺恵一県知事(当時)は「移住社会では1世・2世から3世・4世へと世代交代が進み、母県とのつながりが希薄になっていくことが懸念されている。すべての世代が心を通わせ、チムグクルの輪が世界中に広がっていくことを期待する」と話した。
 大会中新たに認証された新ウチナー民間大使らが参加したシンポジウムやビジネス交流の可能性を探る会議、チャンプルー芸能祭などで参加者は交流を深め、県系人のアイデンティティーを確かめ合った。
 県は、海外の県系人子弟を招いたジュニア・スタディーツアーや、大会参加者が県内の各小・中学校を訪問して移民の歴史などを学ぶ「一校一国運動」を実施。大会前から次世代の育成に力を入れた。本番でも若い人たちの元気の良さ、積極的な交流が目立ち、新しい時代の息吹を感じさせる大会となった。

      

   沖縄の三線を体験する大会参加者ら=12日午後、         ウチナーンチュ大会・一校一国運動ブース(2006-10-12)

   宜野湾市の海浜公園(2006-10-12)

      

チャンプルー交流祭で、輪になって台湾の民族舞踊を踊る       世界のウチナーンチュ大会閉会式グラフ用、カチャーシー、

参加者ら=13日午後8時ごろ、                       獅子舞でにぎわう会場=沖縄コンベンションセンター劇場棟

宜野湾市海浜公園多目的広場(2006-10-13)              (2006-10-15)