<金口木舌>盲目より悲しいこと


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 国道58号沿いの歩道で、1人の男性が立っていた。特に気にすることなく通り過ぎたが、しばらくして戻ると、まだそこにいた。よく見ると、視覚障がい者の白杖(はくじょう)を両手で握り、持ち手を頭上に掲げていた

▼スマートフォンで調べてみると、SOSのサインだった。「近くのトイレに行きたい。時間があったら連れて行ってくれないか」。声を掛けると、男性は申し訳なさそうに何度も頭を下げた
▼県によると、2016年度の視覚障がい者手帳交付数は4258件。4千人以上の人たちが不自由な生活を強いられている。視覚から得られる情報が遮断されたまま外出するのは、非常に勇気がいるはずだ
▼視覚障がい者誘導用ブロックを注意深く歩いていても、木の葉がいきなり顔に引っ掛かる。音が鳴らない信号機は、車の往来が怖くて渡れない
▼男性の腕に手を添えて歩くと、いろいろなことが見えた。とても不安だったはずだ。路上で立ち尽くしていた男性の心情を考えると、無知で無関心だったことが申し訳なくなった
▼ヘレン・ケラーは「盲目であることは悲しいことだ。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことだ」と語った。健常者の多くは、障がいのある人の不自由さが見えているはずなのに見過ごしていないか。ゆいまーる(助け合い)の精神で、互いに支え合える沖縄を目指したい。