<社説>東京五輪 共生社会へ力強い決意を

 東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年を迎えた。大会組織委員会は五輪の最大のキーワードとして「共生」を掲げている。開催を通して、国籍や人種、障がいの有無など、違いを認め合う共生社会の実現に向けた力強い決意を発信してもらいたい。

 五輪憲章はオリンピズム(五輪精神)の根本原則に「スポーツをすることは人権の一つ」と明記し、その上で「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会のルーツ、財産、出自やその他の身分などの理由」によるいかなる差別も受けることなく、スポーツをする機会を与えられなければならないと説く。
 世界で排外主義が台頭し、思慮分別のないリーダーの言動で分断が拡大している。分断は紛争の火種となり、差別を助長する。過重な基地負担に苦しむ沖縄にも近年向けられる憎悪や偏見も、そうした風潮と無縁ではなかろう。
 共生社会は五輪にかかわらず追求すべきである。だが寛容の精神が揺らぐ今こそ、開催を機に共生の理念を打ち出すことの意義は大きい。
 その意味でもパラリンピックの成功が重要だ。世界中から多くの人々が訪れるまたとない機会でもある。年1千万人の観光客が訪れる沖縄でもその受け入れ体制を見詰め直したい。住民目線で社会のバリアフリー化を点検するといった試みがあってもいい。
 最近の五輪では「レガシー(遺産)」という言葉をよく聞くようになった。大会の良い遺産を開催都市・国に残すという考え方に基づく。東京五輪でもその議論が活発だ。
 分かりやすいのは新たに整備された競技会場などのインフラ施設だ。だが大切なのは大会が人々の記憶に何を残し、開催によって社会がどう変わるかだろう。多様性や共生の実現はもちろん、究極のテーマは世界平和である。
 オリンピズムに戻ると、その目的は「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和の取れた発展にスポーツを役立てること」とある。
 五輪期間中に広島と長崎の原爆投下から75年を迎えることから、唯一の被爆国として非核のメッセージを発するべきだとの主張もある。五輪の政治利用とは別次元の話であり、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦を体験した沖縄からも、その主張に賛同したい。
 原発事故に見舞われた福島が聖火リレーの出発点となり、一部競技も開かれる。だが東日本大震災からの「復興」の大会理念はかすんでいるように見える。祭典に向けた東京の活況と比べ、被災地が置き去りにされている感も否めない。復興の現状を正しく発信し、支援を加速させる機運を高めなければならない。
 五輪はスポーツや健康への関心を高める好機だ。長寿が揺らぎ、子どもの運動不足も指摘される沖縄でも健康増進の取り組みを進めたい。



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