<社説>県が首里城復興方針 官民の知恵を生かしたい


社会
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 県が発表した「首里城復興基本方針」は焼失した首里城正殿などの復元に合わせ、周辺のまちづくりと沖縄戦で失われた文化財の復興を目指す総合的な計画となった。

 正殿を含めた首里城城郭内の建物の復元は所有者である国主導で進めることが決まった今、県は周辺の整備、とりわけ沖縄戦で失われた円覚寺や御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)の復興に取り組み、琉球王国の豊かな文化を伝えてほしい。
 首里城周辺のまちづくりについては、1986年に首里城公園整備計画調査で区域を設定した「首里杜(すいむい)構想」がつくられた。弁ヶ嶽御嶽を頂点に真嘉比川と金城川の両水系に囲まれた範囲とその流域、分水嶺一帯を、古都首里を形作った地域と位置付けている。首里城を中核として首里杜地区とし、文化資産の保存と活用、歴史的風土保全の中心、観光の拠点などとするものだ。
 首里杜地区には琉球王の居城であった首里城だけでなく、琉球王朝にまつわる多くの文化財があった。旧県立博物館跡にあった中城御殿は次期国王となる世子の邸宅だ。円覚寺は首里城に隣接し、第二尚氏の菩提寺だった。1677年創建の御茶屋御殿は冊封氏の歓待に使われた。
 周辺にはほかにも国指定名勝の伊江御殿庭園、国家祭祀の聖域の一つ弁之御嶽(びんぬうたき)などがあり、いずれも琉球王朝の祭祀儀礼、外交、内政などを伝える貴重な文化財だ。
 しかし、構想は立てたものの復元は財源の問題などで遅々として進んでいない。円覚寺の「三門(山門)」は2018年度完成を目途にしていたが、停滞している。御茶屋御殿は00年に民間に復元期成会が発足したが、大きな進展はなかった。
 今回の基本方針で、円覚寺の三門の復元工事に本年度着手し、23年度完成の見通しがついたことは喜ばしい。御茶屋御殿の整備を検討することも初めて盛り込まれ、復元へ向けた取り組みに弾みがついた。ただし、県主導で行う限り、財政負担は大きな課題だ。首里城焼失の後に県内外から多くの浄財が集まったことを考えれば、首里城周辺を含めた文化財復興へ、民間の力を取り入れる仕組みも考えるべきだ。
 首里城にまつわる沖縄の歴史を語る上で、忘れてはならないのは首里城地下の日本軍第32軍司令部壕だ。県民に多大な犠牲を強いた「戦略持久戦」を指揮した牛島満司令官らが作戦を練った場所で、沖縄戦の悲劇を知る第一級の戦跡だ。
 玉城デニー知事は崩落の危険を挙げて「公開は困難」としつつ、ITを用いた内部公開を検討するとした。平和学習などに対応できるよう活用に動いてほしい。
 首里城火災から半年で再建の全体像が見えてきた。26年度の正殿完成を見据え、歴史と風土を生かしたまちづくりをどう進めるか。官民の知恵を生かして取り組みたい。