<社説>沖縄から核部隊派遣 対話と信頼で平和構築を


社会
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 1972年に日本に復帰する前の沖縄が、いかに危険な状態だったかを示す資料がまた見つかった。

 60年代、沖縄からベトナム戦争に派遣された米陸軍第173空挺旅団に、小型戦術核の一種「核地雷」を扱う小隊が置かれていたことが明らかになった。国際問題研究者の新原昭治氏が入手した米軍の解禁文書にその存在が記載されていた。
 米軍は、司令部の指示があった場合に核能力を配備可能にする準備を短時間で進める部隊として核地雷小隊を位置付けた。東西冷戦が激化した復帰前の沖縄は核戦争の最前線に置かれていた。小隊の存在はその事実の一端を示す。
 67年には、アジア太平洋地域に配備された米軍の核兵器約3200発のうち約1300発が沖縄に置かれた。核兵器訓練が繰り返され、59年には当時の米軍那覇飛行場でナイキ・ハーキュリーズが核弾頭を搭載したまま誤発射を起こし、海に落下する事故が起きていたことも近年明らかになっている。
 復帰に伴い沖縄から核兵器は撤去されたことになっているが、日本側は査察しておらず、客観的に証明されていない。一方、日米の沖縄返還交渉で、米軍が沖縄に核を持ち込めるという密約が結ばれた。密約は、核を作らず、持たず、持ち込ませずという日本の国是「非核三原則」に反する。日本側は、密約は失効したとの見解だが米側は正反対だ。
 復帰以降、現在に至るまで、米国の核兵器が沖縄に存在するとの情報を把握しているかとの本紙取材に対し、元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏は昨年9月、明言を避けつつも検証の必要性を指摘した。その際、レーガン元米大統領の「信用せよ、されど検証せよ」という言葉を引用した。復帰後の非核化に疑念を示唆した形だ。
 そのゴルバチョフ、レーガン両氏が調印し、東西冷戦終結の端緒となった中距離核戦力(INF)廃棄条約が昨年8月に破棄された。これにより核軍縮の潮流は大きく後退し「新冷戦」と呼ばれる核軍拡の時代に突入した。核弾頭を搭載可能な中距離弾道ミサイルを米国が沖縄に配備する計画も浮上している。
 先の密約は辺野古や嘉手納を挙げ、いつでも使用できる状態に維持するよう指示している。米国の科学者らでつくる「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキ上級アナリストは、辺野古弾薬庫の再開発を挙げ、核兵器の再持ち込みに警鐘を鳴らしている。
 沖縄への核の持ち込みや配備は基地負担軽減と明らかに逆行する。沖縄を復帰前の危険な状態に戻してはならない。世界は今、協力し合って新型コロナウイルス感染症に対処する必要に迫られている。核による抑止力ではなく、国同士で紛争の火種を取り除く対話を徹底し、相互の信頼を醸成することで平和を築く道へと転換すべきだ。