<社説>平和教育 沖縄戦の歴史継承大切だ


社会
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 子どもたちに平和の大切さを伝える機会を可能な限り増やしていきたい。

 県高等学校障害児学校教職員組合(高教組)と沖縄歴史教育研究会が県立高校2年生を対象に実施した「平和教育に関するアンケート」で、沖縄戦について話してくれる家族・親族が「いない」と答えた生徒が52・2%になり、初めて半数を超えた。
 戦後75年を経て、沖縄戦の体験者が減り、家庭で沖縄戦を学ぶ場面が失われつつあることを示している。
 沖縄では、日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が行われ、日米合わせて20万人余が犠牲になった。凄惨(せいさん)を極めた沖縄戦の体験を風化させないよう継承に努めなければならない。
 アンケート調査は5年に1度、行われている。2020年版となる今回は19年11月から20年3月までの間に実施され、1653人(42校)から回答を得た。
 沖縄戦について話してくれる家族・親族がいるとの回答は30・3%だった。10年の40・5%、15年の39・7%と比べ急減している。
 一方で、沖縄戦を学ぶことを「とても大切」「大切なことである」と答えた生徒は合わせて95・5%に達し、1995年の初調査以来、最も高くなった。身近に戦争体験者が少なくなり、継承の必要性を強く感じるようになったとも考えられる。
 平和教育の大切さはいくら強調してもし過ぎることがない。沖縄戦の体験を抜きには現在の沖縄を語ることはできないからだ。
 帝国陸海軍作戦計画大綱(45年1月)で沖縄は皇土防衛の「前縁」と位置付けられた。やむを得ず敵の上陸を見た場合は極力敵の出血消耗を図ると明記している。本土防衛のための時間稼ぎに利用されたのである。
 戦渦の中、日本軍は住民を壕から追い立て、食料を奪った。スパイの嫌疑をかけられるなどして虐殺された人は数多い。このことは沖縄戦の特徴の一つだ。「沖縄語」を使用する者は間諜(かんちょう)(スパイ)と見なし処分する旨の記述が、沖縄に配備された第32軍の「球軍会報」にある。
 未曽有の犠牲を出した沖縄戦の体験は「軍隊は住民を守らない」という教訓を人々の記憶に刻み付けた。
 戦後、米軍は銃剣とブルドーザーで土地を奪い、広大な基地を建設した。沖縄は72年に日本に復帰するまで米国の統治下に置かれ、さまざまな権利が制限された。
 現在も在日米軍専用施設面積の7割が、国土のわずか0・6%しかない沖縄に集中している。米軍基地が沖縄に置かれた経緯を知らなければ、その理不尽さに気付くこともないだろう。
 原点となるのは太平洋戦争であり沖縄戦だ。まずはわれわれ大人が、日頃から沖縄戦の実相について深く考察し理解を広げていく必要がある。