<社説>日米同盟「犠牲の遺産」 沖縄戦の教訓と相いれず


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 米ホワイトハウスは、「沖縄戦75年記念声明」を発表した。沖縄戦で多大な犠牲を払った結果、日米同盟という「遺産」があると評価した。

 沖縄側からすると納得できない。沖縄戦で多くの住民が犠牲になり、戦後も米軍基地が集中し過重な負担が続く。日米同盟は、沖縄に犠牲を強いる元凶である。米国の沖縄戦観は、「軍隊は住民を守らない」という沖縄側の教訓とは相いれない。
 沖縄戦で1万2千人を超える米兵が戦死した。戦闘を通じて心に傷を負う戦闘神経症は1万4千人を超えた。声明は兵士の不屈の勇気を評価し、奉仕と犠牲をたたえている。しかし、米兵を支配していたのは勇気でも、奉仕でもない。恐怖だった。
 首里周辺の激戦に身を投じたトム・トマスマ中尉は、本紙にこう証言している。
 「恐ろしい、本当に恐ろしい戦いだった。いつも家のことを思った。誰か俺の足を撃ってくれ、と頼んだこともある。半分は本気だった。負傷すれば、戦場とおさらばできる。本当にそう祈った。でも戦い続けなければならなかった。つらかった。戦場は地獄だった」
 声明は、米兵の戦死の「遺産」として、日米同盟があると指摘する。20万人以上が死亡し、うち住民9万4千人が犠牲になった沖縄からすれば、とうてい受け入れられない。
 沖縄戦の結果、沖縄を占領した米軍は、海外の軍事拠点として基地を建設した。サンフランシスコ講和条約によって、日本の独立と引き換えに、沖縄は日本と切り離され米国が統治する。米国は他国に干渉されることなく、基地を自由使用してきた。
 戦後、日本は安全保障の基本を日米安全保障条約に置いてきた。安保条約は日本が米軍に基地を提供する代わり、米国は日本を防衛するという非対称の関係である。
 沖縄返還交渉の結果、日本政府の同意によって、今でも米軍の専用施設の7割が沖縄に集中している。
 こうして沖縄は戦後75年、基地から派生する事件事故、環境破壊、騒音被害にさいなまれ続けている。
 1971年12月、衆院沖特委員会で、瀬長亀次郎議員が、沖縄返還協定について質問した。瀬長氏は佐藤栄作首相に1枚の写真を示した。沖縄戦最後の激戦地、本島南部で犠牲者になった人々の白骨が写っていた。
 「沖縄の大地、われわれの同胞の血を吸ったこの大地は、そうして遺骨は土と化しておる。母なる大地は何を求めておるのか。涙ではない。(中略)これ(沖縄返還協定)は日米沖縄軍事条約である。沖縄の大地は再び戦場となることを拒否する」
 初の公選主席・屋良朝苗氏が日本に求めたのは、日米両国に利用されず、自らのことは自ら決定する社会の実現である。沖縄の犠牲の上に成り立つ日米同盟など望まない。