<社説>生活保護訴訟判決 制度の趣旨を尊重せよ


社会
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 2013年から15年の生活保護の基準額引き下げは生存権を侵害し違憲だとして、その取り消しなどを求めた訴えで名古屋地裁は、棄却する判決を言い渡した。

 判決は、物価下落などを基準額引き下げに反映させた厚生労働相の判断を「過誤や欠落があるとは言えない」とした。問題は、減額にあたって厚労相が「国民感情」を含めて考慮できるとした点だ。
 生存権の保障は国民が安心して生活できる国家運営の要諦である。その保障の判断に際し「国民感情」というあいまいな考慮の余地を示した判決は、国民生活の安全網という制度趣旨を十分に考慮したのか疑問である。
 原告側は、生活保護の基準額引き下げが「政治的な意図に基づいたものだった」と主張していた。これに対し同地裁は、こう判断している。「自民党の政策の影響があった可能性は否定できないが、国民感情や国の財政事情を踏まえたもので違法とは言えない」
 08年のリーマン・ショック以降、生活保護利用者数は増加した。長引く不況に加え、雇用が不安定な非正規労働者も10年に全体の4割に迫り、失業は生活困窮につながった。11年から利用者は最多を更新し続け、09年度以降は支給総額も3兆円を突破した。
 そんなさなかの12年に芸能人の家族が生活保護を受けていた問題が報じられた。これを機に「生活保護バッシング」とも言える現象が起きた。
 当時野党だった自民党を中心に扶養のあり方などが追及されたが、実際は芸能人も不正受給とは言えず、さらに生活保護費全体の不正受給額も0・4%程度(10年度)に過ぎなかった。振り返れば、一事が万事のごとく生活保護制度に悪感情を植え付けた側面は否定できない。
 12年12月の衆院選で自民党の掲げた公約が「生活保護の給付水準の1割カット」だ。こうした一連の事態が「国民感情」だとすれば、判決は短絡的ではないか。
 憲法25条は、国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する。その理念を具体化したのが生活保護法だ。保護基準を定め、考慮すべき事項も要保護者の年齢別、性別などを規定し、種類に応じて保護の必要な事情を定める。
 周囲の目線や感情で必要な生活費が値切られてはなるまい。まして与党の公約を考慮できるなどと保護法には規定されていない。
 同種の訴訟は名古屋、それに県内も含め全国29地裁で提起されている。6月25日の名古屋地裁の判決は、一連の訴訟で初の判断となったが、原告側は7日、「政治的意図で改定を容認した点が最大の問題」として控訴した。
 基の原資は国民の税金である。不正をただすのは当然だ。しかし生活に不便を感じる人へ手を差し伸べる制度を損っては国の土台を崩す。コロナ禍の今こそ共助の精神で見詰め直すべき制度である。