<社説>「総理府史」誤記 訂正して再版すべきだ


社会
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 1952年から72年の日本復帰まで沖縄は「米国の信託統治下に置かれていた」という誤りが「総理府史」(2000年)に記述されていた。

 米国統治下の沖縄に深くかかわった総理府の「正史」ともいえる刊行物が、日米関係と沖縄の戦後史を巡る深刻な誤りを20年間放置していた。衛藤晟一沖縄担当相は誤りを認めたが、正誤表を配布する対応にとどまっている。訂正して再版すべきだ。
 「総理府史」は「沖縄関係行政の変遷」の項目で「昭和二十七年四月二十八日、対日平和条約が発効し、同条約第三条により、沖縄は米国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置かれることになった」と記述している。しかし、沖縄は国連の信託統治制度の下に置かれなかった。
 それはなぜか。国連信託統治によって、重大な問題が生じるからである。
 一つは、沖縄の帰属を巡る問題だ。国連の信託統治は沖縄に対する日本の主権の放棄を意味する。米国内部でも意見が分かれた。軍部は国連信託によって沖縄を日本から切り離して排他的に統治しようと考えたが、領土不拡大の原則から国務省は賛同できない。
 日本国内でも与野党が沖縄に対する日本の主権を求めていた。「天皇メッセージ」や対日講和交渉での吉田茂首相の提案は、名目上、日本の主権を残しつつ沖縄を米国に長期租借する内容だった。 
 二つ目は、沖縄の自己決定権の問題である。
 国連憲章は住民の自己決定権を認めているので、国連信託統治下に置かれた地域は独立するか自治を達成した。対日講和会議前に「うるま新報」(現琉球新報)は、沖縄を国連信託とするよう主張している(51年2月2日付)。
 仮に沖縄が国連信託統治下に置かれると、いずれ独立するか日本に復帰するか、自らの意思で選択することができる。独立して米軍基地の撤去を求めることも可能になる。そうなると、在沖米軍基地の排他的な自由使用を揺るがす。
 二つの問題を回避しつつ、米国が基地を無制限に使える枠組みが、対日講和条約第3条である。沖縄は小笠原諸島と共に日本の主権が及びつつ(潜在主権)、日本の同意の下で米国が施政権を持ち、軍事基地を維持することが可能になった。
 住民の自己決定権はあらかじめ封じられ、日本国民が平和憲法下で享受した基本的人権などの諸権利は沖縄に適用されなかった。
 「総理府史」の誤記は、第3条の意図と国連信託統治の意味、沖縄側が背負わされた負担をまったく理解していないと言わざるを得ない。
 日本政府は52年、総理府に「南方連絡事務局」を設置し、那覇に「那覇日本政府南方連絡事務所」を置いた。これらは米国統治下の沖縄で米側との連絡機関として機能した。その歴史がゆがめられただけに、事は深刻である。