<社説>沖国大ヘリ墜落16年 普天間の無条件閉鎖を


社会
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 米軍普天間基地を飛び立った米軍CH53D大型輸送ヘリコプターが、宜野湾市の沖縄国際大学に墜落、炎上した事故から13日で16年となった。

 今も変わらず市街地のど真ん中に飛行場が居座り、事故率が高い垂直離着陸輸送機MV22オスプレイや老朽化した航空機がわが物顔で飛行を繰り返している。住民を巻き込んだ大惨事が再び起こらないと誰が言えるだろうか。
 日米両政府が普天間返還の条件としている辺野古新基地建設が、危険除去を遠のかせてきたのは明らかだ。政府は県内移設という条件を付けずに普天間基地を直ちに閉鎖し、県外・国外移転の方策を早急に議論すべきだ。
 米軍は沖国大ヘリ墜落後も2012年にオスプレイの普天間配備を強行し、基地機能の強化を進めている。4年後の16年に名護市安部の海岸でオスプレイが墜落し、県民の不安が現実となった。
 17年12月には、宜野湾市野嵩の緑ヶ丘保育園に米軍機の部品が落下し、宜野湾市普天間第二小の運動場には米軍CH53E大型輸送ヘリが窓を落下させた。
 本来、普天間飛行場の返還は1996年4月の日米合意だ。2013年に当時の仲井真弘多知事が要請し、安倍晋三首相が応じた普天間飛行場の「5年以内の運用停止」も19年2月で期限切れとなり、約束はほごにされている。
 大浦湾側の軟弱地盤を改良するため工期がさらに延びることになった辺野古新基地に固執する政府の姿勢を見ると、普天間基地の早期の運用停止に本気で取り組んでいるとは到底考えられない。
 辺野古移設がなくても、沖縄に駐留する海兵隊の撤退や県外・国外への分散移転によって普天間基地の運用停止を導くことは十分に可能だ。
 海兵隊の移動手段である強襲揚陸艦は沖縄と離れた長崎県の佐世保基地を母港としており、在日米軍の運用において海兵隊の駐留は沖縄である必要はない。米軍の戦略上も、中国のミサイル能力を踏まえた対応として、沖縄への集中からオーストラリアやグアムなどアジア太平洋地域に兵力を分散させている。
 普天間基地の返還実現を真剣に考えるのであれば、20年以上も前に考え出された県内移設ではなく、新たな現実的な方策について議論を始めるべきだ。無理筋の辺野古新基地建設計画によって普天間基地が事実上の固定化に陥っている現状は、政治の不作為でしかない。
 16年前の墜落時には、米兵が大学内に立ち入って事故現場を包囲し、日本の捜査機関も排除された。米軍が日本の主権や大学の自治をも超越するという、米国に従属する政治の実態を如実に示した。
 沖国大ヘリ墜落は生活の場に軍事基地が隣接していることの異常さを改めて気付かせた。16年の歳月が流れる中で、何度でも語り、記憶を継承していくことが大切だ。