<社説>ウチナーンチュ大会 沖縄県系人の絆 今こそ


社会
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 沖縄からの海外移民とその子孫が古里に集った「第1回世界のウチナーンチュ大会」の開催から30年を迎えた。大会の発展とともに、世界の沖縄県系人のネットワークは着実に深まってきた。

 大会は原則5年に1回、過去6回開かれた。県は来年10月末に第7回大会を予定しているが、新型コロナウイルスの感染拡大で不透明な状況となっている。ただコロナ禍が世界を覆う今だからこそ、絆をさらに強めるための取り組みに知恵を絞りたい。
 第1回大会は1990年に開催され、海外から約2400人が参加した。県系人ネットワークの構築を掲げ、県のウチナー民間大使制度が創設された。95年の第2回は経済や芸能分野などの交流促進を確認し、WUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション)の97年設立に結び付いた。
 2001年の第3回は持続的な交流の促進を打ち出した。06年の第4回ではネットワークを担う次世代の育成を議論した。11年の第5回では若者国際会議が初開催され、12年から「世界若者ウチナーンチュ大会」も始まった。
 16年の第6回には海外約30カ国・地域から過去最多の7400人が参加し、閉会式のあった10月30日を「世界のウチナーンチュの日」に制定することを宣言した。
 30年で海外の県系人と沖縄との絆は確実に深まった。言語や世代の壁で心配された2、3世以降へのアイデンティティー継承も進み、4、5世へと広がった。北米や南米を中心に世界で40万人超といわれる沖縄ネットワークの意義と重みをかみしめたい。
 来年の第7回の開催が危ぶまれている状況は残念でならないが、コロナ禍を奇貨として、新たなネットワークや交流の在り方も探りたい。
 世界若者ウチナーンチュ連合会がこのほど企画したオンライン会議には南米や米国、台湾などから約80人の若者が参加し、日本語、英語、スペイン語、ポルトガル語が飛び交った。アジアの県系人の活動を動画で紹介する取り組みなども出ている。SNS(会員制交流サイト)などを活用した新たなビジネス展開や学術交流の可能性も感じる。
 一方で沖縄側から、基地問題や自立的経済発展などのさまざまな課題発信と併せて、世界のウチナーンチュたちの心のよりどころとなっている琉球の芸能や音楽、空手、沖縄の言葉(しまくとぅば)などの文化的価値を新たな仕掛けで発信する試みがあってもいい。世界とやりとりする中で新しい展開も見えてこよう。
 戦前や戦後、海外の県系人たちは疲弊する沖縄の経済を多額の送金などで支えた。昨年10月の首里城火災後、世界中から多額の寄付が集まったことも記憶に新しい。世界のウチナーンチュたちの苦難の歴史と古里への思いをもう一度胸に刻み、コロナ後の交流拡大へ議論を重ねたい。