<社説>5氏に琉球新報賞 信念貫いた功績に感謝


社会
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 第56回琉球新報賞が5氏に贈られる。沖縄の各分野の発展に多大な功績を残し、人材育成に力を尽くした足跡に深く感謝する。沖縄の未来を築くために励みとしたい。

 沖縄振興・自治功労の牧野浩隆氏は、沖縄を代表するエコノミストの一人。1999年から8年間、稲嶺恵一県政の副知事を務め、沖縄振興計画の策定や県経済の発展に尽力した。日本復帰以降、「格差是正」を掲げてきた3次にわたる振興計画から転換し優位性の発揮と不利性の克服」を柱に、自立型経済構築への礎を築いた。
 「全国一律ではなく、沖縄の優れた点を伸ばすことに力点を置いた」と語る。時々の経済論争で示された見識に敬意を表する。
 経済・産業功労の比嘉正輝氏は、県内流通業の発展に手腕を発揮した。リウボウグループ代表。グループの転機となった国内スーパー大手西友との資本提携を担当した。西友をはじめ西武セゾングループのノウハウを吸収し、リウボウストア開業、デパートの規模拡大、沖縄ファミリーマート開業と事業を多角化してきた。「相手がどんなに大きい企業でも最終的には人対人」。小売業の最前線で得たビジネスの極意から学びたい。
 社会・教育功労の鎌田佐多子氏は、読書教育発展に情熱を傾けてきた。沖縄女子短期大学の講師時代、カリフォルニア大学で研修の機会に恵まれた。東京と米国での学びを礎に読書教育(幼児期)に本腰を入れる。沖女短一筋で学長を務め、地域を支える人材を育成した。一貫して教えたのは「一人一人に寄り添い、心を分かろうとすること」。その言葉が現場に立つ多くの卒業生にエールを送った。
 文化・芸術功労の八木政男氏は、琉球歌劇の普及と後継者育成に尽力した。1949年に、兄大宜見小太郎が創立した大伸座に入座。「丘の一本松」の良助役など、50年代半ばから主役・主役級を務めた。芝居や講演会、放送番組でうちなーぐちの継承に尽力してきた。忘れられない思い出がある。戦前、小太郎に呼ばれて大阪で舞台に立った。当時うちなーぐちは禁じられたが検閲の目を逃れうちなーぐちで芝居を演じた。「戦争は命だけでなく言葉も奪う」。その教訓を胸に刻みたい。
 スポーツ功労の國場馨氏は、競技力の向上をけん引してきた。沖縄陸上競技協会会長で専門は駅伝。指導で意識したのは「自分に妥協しないこと」だった。70年代に米国から伝わってきた「ストレッチ」を導入するなど、練習の量と質にこだわった。教え子を何度も県の頂点に押し上げ、今の目標は二つ。「72年のミュンヘン大会以来となる陸上の五輪選手を沖縄から出すこと。駅伝を全国で戦えるレベルにする」。沖縄陸上の発展に懸ける情熱が尽きることはない。
 5氏の功績に心から拍手を送ると同時に、後進を叱咤(しった)激励してほしい。