<社説>「コザ騒動」50年 今も理不尽な現実続く


社会
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 「コザ騒動」から50年を迎える。交通事故処理をきっかけに数千人の住民が米憲兵や外国人の車両を次々焼き払った。先導者がいたわけではない。自然発生だった。

 住民の直接抵抗は米国の沖縄統治の破綻を象徴していた。米国はやがて沖縄の施政権を返還するが、日本政府合意の下で基地の自由使用は手放さなかった。
 理不尽な現実は今も続く。日本政府は民意を無視して米軍のために辺野古新基地建設を強行している。騒動で示された怒りの爆発は、過去の出来事ではない。
 米国統治下の沖縄は、すべてが軍事優先で住民の安全、人権はないがしろにされた。米軍人・軍属による犯罪は、ベトナム戦争がエスカレートする1960年代半ばに年間千件を超えている。
 しかし、琉球警察は、米軍人・軍属を逮捕できないし、沖縄側に裁判権もなかった。立法院は、捜査権・逮捕権・裁判権の沖縄への移管を求め続けたが無視された。
 そしてコザ騒動の3カ月前、主婦をひき殺した米兵が上級軍法会議で無罪になった。怒りは頂点に達した。
 米軍には沖縄住民が「おとなしく従順」という固定観念があった。このため沖縄住民が我慢の限界を超えたとき、騒動という形で物理的破壊を伴う怒りを爆発させることなど予期していない。
 騒動から4日後、衆院議員の瀬長亀次郎氏は国会で質問に立った。現場で拾った焼けただれた車両のバンパーを手に「アメリカに対する県民の決起、これはほんとに怒りが爆発したものである。この怒りの強さは鉄をも溶かす強さだ」と訴えている。
 沖縄を統治する最高責任者ランパート高等弁務官は、駐日米国大使館に「都合のよくない時代の始まり」と報告。統治の限界を自ら認めている。その上で「日本政府による施政権行使が開始され、日米地位協定が効力を発揮するまで続く」と指摘した。
 日米地位協定は、米軍が日本に駐留するための取り決めだ。日本の国内法が適用されず罪を犯した米兵の身柄すら確保できない。米軍機の墜落や不時着事故が民間地域で発生しても、日本の警察による初動捜査は阻止される。米兵犯罪で重大事件以外は裁判権を放棄する密約も明らかになっている。
 日本復帰の後、沖縄に地位協定が適用された。この不平等条約が効力を発揮することによって、米国統治下と錯覚するような軍事優先の環境に置かれることになる。しかも対米従属に終始する日本政府は、地位協定を抜本的に改定する努力を怠ってきた。
 復帰後、米軍による事件・事故がどれほど繰り返され、真相究明が地位協定の壁にどれだけ阻まれただろう。
 「ウチナーンチュ(沖縄人)だって人間じゃないのか」。コザ騒動の現場で人々が叫んだ言葉は今も変わらない。