<社説>SACO合意25年 真の負担軽減を求める


社会
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 四半世紀を経て明確に言えるのは、沖縄の負担軽減ではなく機能強化がSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意の本質だということだ。

 1996年のSACO合意では県内11施設、約5千ヘクタールの返還が決まった。2020年末時点で4411ヘクタールが返還されたが、大半は北部訓練場の返還(3987ヘクタール)である。
 北部では返還地上空の制限空域はいまだ縮小されず、返還条件となったヘリコプター発着場(ヘリパッド)建設によって、東村での80デシベル以上の騒音測定回数は5倍を超えた。住民の生活環境は悪化している。
 普天間飛行場返還に伴う新基地建設計画を含め、負担軽減とは名ばかりの機能強化が続く。沖縄の現実を日米両政府は直視し、真の負担軽減策を県民に提示すべきである。
 SACOが設置された背景には95年の米兵による少女乱暴事件と、それを受け負担軽減を求める県民一丸となった行動があった。「基地のない平和な島」を求める県民の我慢が限界に達したことがある。
 だが「負担軽減」を名目としたSACO合意に当初から県民の間には失望の声があった。普天間飛行場、牧港補給地区、那覇港湾施設の県内移設に代表されるように「基地のたらい回し」でしかないことが明らかだったからだ。
 こうした代替施設建設以外でもSACO合意の形骸化は明らかだ。読谷補助飛行場でのパラシュート降下訓練は伊江島補助飛行場への移転が原則だったが、例外扱いの嘉手納基地でも訓練は恒常化している。自衛隊の南西諸島配備と軌を一にした日米の軍事一体化も進む。
 そもそもこれほどまでに沖縄に米軍基地が集中するのはなぜか。普天間飛行場の経緯を振り返れば答えがある。朝鮮戦争後、日本国内での基地反対運動の高まりから、50年代、米統治下の沖縄に山梨県、岐阜県の海兵隊が移駐した。さらに山口県のヘリ部隊も移転し、現在の形になった。
 もともとは日本国内に分散していた基地を政治的理由から沖縄に押し付けたのが実態だ。それは今も変わらない。SACO合意に米国防長官として関わったウィリアム・ペリー氏は17年の本紙インタビューで「(辺野古移設は)安全保障上の観点でも、軍事上の理由でもない。政治的な背景が原因だ」と指摘している。
 結局、在沖米軍基地の整理縮小が進まないのは、日本国内での反対運動など政治的なリスクを取りたくない日米両政府の怠慢ともいえる。
 玉城デニー知事は日米に沖縄を加えた協議の場「SACWO(サコワ)」を提案している。SACO合意が全て実現しても国内の米軍専用施設の約69%が沖縄に残る事実や海兵隊の部隊運用の変化もあり、25年前の合意にこだわる合理性はない。
 県民が求める負担軽減の答えは何なのか、日米政府は真剣に考えるべきだ。