<社説>浦添市長選現職勝利 移設なき軍港返還模索を


社会
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 7日の浦添市長選で、現職の松本哲治氏が3選を果たした。最大の争点だった米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添市移設を巡り、県や那覇市と北側案で合意したことが市民から一定の信任を得た形だ。

 一方、落選した伊礼悠記氏は出遅れたものの、移設反対を訴え、約2万3千票を獲得した。この票は移設に反対する市民の意思とみることができる。重く受け止めるべきだ。
 そもそも軍港への艦船寄港は減少傾向にあり、統計が公表されていた直近の2002年は35隻で、1987年の3分の1程度まで減っている。その後、公表しないのは事実上、遊休化しているとの指摘もある。使用頻度が少ないなら移設する必要はない。浦添、那覇の市益、権益にかなう、移設なき返還を模索すべきだ。
 那覇軍港は1974年に移設条件付きで全面返還が決まった。移設先は95年の日米合同委員会で那覇港の浦添ふ頭地区に決まり、96年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で合意した。
 移設を巡り県、那覇市、浦添市は翻弄(ほんろう)されてきた。松本氏は8年前に軍港移設反対を公約に掲げて初当選したがその後、翁長雄志前知事と城間幹子那覇市長が移設容認だとして「公益を重視する」として受け入れた。代替案として掲げた浦添案も、国や県、那覇市などの了解を得られなかったとして撤回した。
 一方、玉城デニー知事は翁長前知事の移設容認の方針を踏襲しているが、辺野古新基地建設反対の方針との矛盾が指摘されている。伊礼氏の選挙応援に入った知事の行動に、与党内からも批判の声が上がった。
 こうした首長たちの苦悩や矛盾の元凶は移設条件付きである。SACOの本質は、負担軽減ではなく県内移設による機能強化にある。軍港の県内移設を容認すれば、基地の固定化につながる。それは本来、避けなければならない。
 軍港移設を含む港湾計画は10~15年先を見据えて策定する予定で、軍港の正式な位置なども未定だ。軍港との隣接で有用性が高まるはずだった牧港補給地区は2025年度以降に返還されることが決まっており、移設の前提が既に崩れている。
 着工時期が見通せない中、名護市辺野古の新基地建設のように、後から新しい基地機能が判明する可能性も拭えない。政府や県、那覇市も、県内移設を前提としない早期無条件全面返還へ転換すべきだ。
 今回の浦添市長選は、4月のうるま市長選、来年の知事選の前哨戦に位置付けられた。自民、公明を中心とする勢力は、先月の宮古島市長選を制した玉城知事を支える勢力に対し1勝1敗となり、挽回した。一方、軍港移設の是非で足並みが乱れ、本来の「オール沖縄」の枠組みで選挙戦に臨めなかった玉城知事側は今後、幅広い結束が課題だ。松本氏は市民の命と暮らしを守る政治を実現してほしい。