<社説>孔子廟「違憲」判決 宗教の本質論議避けた


社会
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 沖縄の歴史、文化的な背景との齟齬(そご)が否めず、理解に苦しむ判決だ。

 儒学の祖である孔子を祭った「久米至聖廟(孔子廟)」の敷地を、那覇市が無償提供しているのは憲法の政教分離の原則に反するかどうかが争われた住民訴訟の上告審判決で、最高裁大法廷は「特定の宗教に対して特別の便益を提供し、援助していると評価されてもやむを得ない」として、違憲と判断した。那覇市にとって全面敗訴の内容だ。
 だが、学問や教養として定着した儒教が宗教といえるのかについて議論があるにもかかわらず、最高裁は判断を一切示していない。宗教の本質を論ぜず、行事や施設の外観だけで政教分離違反を認定した。政治と宗教の関わりを厳格に示したというより、飛躍した判断ではないだろうか。
 中国から渡来した久米三十六姓が、17世紀に久米村で孔子廟を建立したのが始まりだ。18世紀には琉球初の正式な教育機関「明倫堂」が境内に建設された。儒学教育が行われ、中国の最高学府への留学希望者が学んだ。
 沖縄戦で焼失したが、久米三十六姓の子孫である久米崇聖会(そうせいかい)が那覇市若狭に再建し、2013年に松山公園に移転した。当時の翁長雄志市長が公園敷地の無償提供を決め、崇聖会が施設を建設した。
 政教分離を巡る最高裁判決はこれまで神道が中心で、儒教は初めてだ。最高裁は、供物を並べて孔子の霊を迎える年1回の行事である「釋奠祭禮(せきてんさいれい)」の様子から、「宗教性を肯定でき、程度も軽微ではない」と結論付けた。
 だが、教義に基づく布教行為が孔子廟で行われているわけではない。一般社団法人の久米崇聖会が宗教団体なのかも、最高裁は判断を示していない。
 儒教の教えや祖先崇拝は、琉球・沖縄の歴史の中で思想や教育、習俗として定着してきた。宗教というには違和感がある。釋奠祭禮の運営も、久米三十六姓をルーツとする門中(血縁集団)が久米村の歴史を継承する中で、年中行事を再現・保存するという文化、教育的な側面を持つ。
 政教分離は、国家と神道が結びついて日本がアジア・太平洋戦争に突き進んだ反省に基づいている。国や自治体が宗教と結びつかないよう、公金の支出など厳格にしなければならないのは当然だ。
 一方で、裁判官15人のうち唯一、反対意見を付けた林景一裁判官は、孔子廟の宗教性を「習俗化していて希薄」とした上で、違憲判断を「牛刀をもって鶏を割く」ようなものだと断じた。政教分離規定を過度に拡張すれば「歴史研究・文化活動等にかかる公的支援の萎縮」をもたらしかねないと警鐘を鳴らす。
 最高裁判決のように建物の外観や行事で宗教性を認めるのであれば、復元された首里城での儀礼や、平和の礎など慰霊施設での行事さえも憲法に抵触しかねない。