<社説>辺野古工費1.6倍 大義なき支出を止めよ


社会
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 米軍普天間飛行場の返還に伴う名護市辺野古への新基地建設で、防衛省が発注した3工区の埋め立て工事費が、当初額の1.6倍に上ることが同省資料で明らかになった。

 2018年3月当時の発注額は約259億円だったが、20年9月末時点では約416億円に膨らんでいる。150億円を超す巨額の契約変更にもかかわらず入札も実施しない不透明な支出だ。
 そもそも県民が望んでおらず、実現性にも疑問がある新基地建設に、天井知らずで税金を投入して許されるはずがない。政府は理念も大義もない工事を停止し、無駄な支出を今すぐ止めるべきだ。
 増額に当たって入札はなく、随意契約に近いものだ。これを繰り返せば、国民の税金が恣意(しい)的に特定の企業に流れることになる。行政の公平・公正性がゆがめられる可能性に対し、チェック機能は働いているのか。
 法政大名誉教授の五十嵐敬喜氏(公共事業論)は「場当たり的」と、その異常さを批判している。
 辺野古の総工費は2014年に3500億円と示されたが、19年には9300億円と約2.7倍に膨れ上がった。
 大浦湾で確認された軟弱地盤への対応を迫られての増額だが、県の試算2兆5500億円とは大きな開きがある。今回の3工区の契約変更を見れば、総工費も無制限に増額する可能性がある。
 政府が進める工程では事業の完了、普天間飛行場の返還は2030年代までずれ込む。その間、普天間の危険性は放置される。しかも10年以上先の安全保障環境がどうなっているかは予測できない。辺野古新基地が無用の長物になる可能性すらある。巨額の税金をつぎ込む必要性はない。
 財政規律の観点からも辺野古埋め立ては多くの問題点をはらんでいる。
 国家、自治体の予算とは、政権や首長が設定した政策目標や理念を実現するための手段といえる。入ってくるお金(歳入)と配分するお金(歳出)のバランスを取り、優先順位を明確にするものだ。
 辺野古のように過大な支出を認めれば、他の分野、例えば福祉などを削るしかない。あるいは借金(国債)によって将来世代につけを回すことになる。いずれも無責任としか言いようがない。
 辺野古の工費は国家予算から見れば一部にすぎないかもしれない。だが規律を無視した予算執行を認めれば、いずれは行き詰まる。戦費調達のため国債を乱発した戦前の反省を忘れてはならない。
 工費増額が明らかになったことで国会や独立機関による監視はさらに重要性を増す。
 例えば米国の会計検査院(GAO)は議会の求めに応じ「(辺野古は)政治的に持続可能ではない」と報告している。日本の会計検査院も政権への忖度(そんたく)を廃し、独立した機関として事実に基づき辺野古関連工費を精査すべきだ。