<社説>東京パラが閉幕 多様性をさらに深めよう

 史上最多の4400人余が参加した東京パラリンピックが閉幕した。多くのパラアスリートが持てる力を存分に発揮した。

 県関係では陸上車いすの上与那原寛和選手が400メートル、1500メートルの2種目で銅メダルを獲得した。トラック種目での表彰台、同一大会での複数メダルはいずれも県勢初となる快挙だった。
 大会を終えた今、アスリートの姿を通じて大会の理念である「多様性との共生」は多くの人に伝わった。だがこれで終わりではなく、さらに多様性への理解を深めるための新たな出発点としたい。
 競技ではパラリンピックならではのドラマが数多くあった。自転車2種目で金メダルの杉浦佳子選手は、脳に障がいがあり感情の制御が課題だった。それを綿密な戦略で克服した。競泳で複数のメダルを獲得した富田宇宙選手は視覚障がいを理由に夢だった宇宙飛行士の道を諦めた。しかし障がい者競泳に出合って新たな目標を見つけた。
 自らの個性を理解した上での戦略、戦術といった点では、上与那原選手も同様だ。50歳のベテランは、一回り以上も年齢が違う世界の強豪に食らいつこうと課題のダッシュ力に磨きをかけ、自己ベストを更新した。「鉄人」と称される強さの原動力はたゆみない努力と工夫にある。蓄積した経験を基に自らを進化させる姿は、パラリンピックの枠にとどまらない人としての強さを教えてくれた。
 初出場ながら女子の車いすマラソンで7位に入賞した喜納翼選手や、大宜味村を合宿拠点とするカヌーの瀬立モニカ選手(東京都出身)には県内から多くの声援が送られた。全ての選手が持てる力を振り絞って輝いていた。
 一方で選手の活躍とは別に課題を検証する必要もある。
 ロンドン、リオパラリンピックで六つのメダルを獲得した競泳の米国代表レベッカ・マイヤーズ選手は、個別の介助者同行が認められず東京大会参加を断念した。
 米国代表は34人の選手に対し、公式に派遣する介助者は1人だった。介助者を含む代表チームの構成は米国の裁量だが、コロナ対策を理由に選手が必要とする介助者の入国まで制限した日本側の対応は妥当だったか疑問が残る。
 大会組織委員会の橋本聖子会長は総括記者会見で「多様性を尊重する共生社会に向けた取り組みをさらに加速させたい」と語った。
 オリンピック開幕前から女性蔑視発言やタレントの容姿侮辱、障がい者への暴行など多様性への理解とほど遠い不祥事が組織委に続いた。こうした差別行為と決別することが、後世につなぐ東京大会の遺産となるはずだ。
 パラリンピックで得られた熱気や教訓を一過性のものとしてはならない。橋本会長が言うように「さらに加速」させていくのは、私たちに課された責任でもある。



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