<社説>岸田内閣発足 50年前の衆院決議実現を


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 自民党の岸田文雄総裁が4日、衆参両院で第100代首相に選出され、岸田内閣が発足した。岸田政権は新型コロナウイルスへの対応と経済回復が喫緊の課題となる。

 来年は沖縄の施政権返還(日本復帰)から50年の節目を迎える。50年前の「沖縄国会」で、衆議院は在沖米軍基地の縮小決議を全会一致で決議したが、いまだに実現していない。岸田首相に国会決議を実現し、繰り返し民意が示された名護市辺野古の新基地建設見直しを求める。
 日本復帰の日(5月15日)に開かれた日米合同委員会は、嘉手納基地など88カ所(後に87)を米軍に提供することを決定したため、沖縄に在日米軍の専用施設が集中することになった。米国は施政権の返還に合意したが基地の自由使用権は手放さなかった。
 沖縄国会は1971年10月16日に召集された。屋良朝苗主席が、沖縄の最後の訴えである「建議書」を届ける前に、自民党は返還協定承認案を強行採決した。その後、衆議院は「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」を全会一致で可決し、沖縄に寄り添う姿勢を示した。
 岸田氏が会長を務める宏池会は池田勇人元首相が創設した。「軽武装・経済重視」路線を掲げ、伝統的にリベラル色が強いといわれる。
 首相に就任した池田氏は61年6月、ケネディ大統領と初会談した。池田氏は沖縄の施政権返還を求めず、主席公選、渡航の自由、自治権拡大など沖縄側の要望は取り上げられなかった。
 翌62年1月、ケネディ大統領は予算教書の中で沖縄の施政権を引き続き保持することを宣言した。期待外れに終わった前年の池田・ケネディ会談に続く沖縄保持宣言に立法院は強く反発した。
 同年2月1日、立法院は国連総会で採択された植民地独立付与宣言を引用して、米国の沖縄統治を告発する「2・1決議」を全会一致で可決した。立法院史上初めて国連加盟104カ国に決議文を送付した。しかし、池田政権は、「2・1決議」に理解を示すのではなく、植民地独立付与宣言が定義する「植民地」に沖縄は該当しないと、打ち消しに躍起になったのだった。
 30年ぶりに宏池会から首相が誕生した。岸田氏は池田氏が掲げた「所得倍増」を、「令和版所得倍増」として取り組む。「特技は人の話をよく聞くことだ」と述べ、安倍、菅政権のトップダウン政治と一線を画す構えだ。それなら池田政権との違いも出して沖縄の声に耳を傾け沖縄政策の転換を求めたい。
 岸田内閣には、県選出の西銘恒三郎衆院議員が沖縄北方担当相として初入閣した。父の順治氏は70年の「国政参加選挙」に初当選し、基地縮小を求める50年前の衆院決議に加わっている。恒三郎氏は国会決議を実現し、沖縄の自立に向けて担当相として尽力してもらいたい。