<社説>第2次岸田内閣発足 前政権のツケ 放置するな


社会
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 衆院選を受け召集された特別国会で岸田文雄首相(自民党総裁)が衆参両院での首相指名選挙で第101代首相に選出された。第2次岸田内閣が本格的に始動した。

 まず新型コロナウイルス対策や経済対策が急務だ。同時に第1次内閣で手つかずに終わった長期政権のひずみを放置してはならない。あらためて立憲主義に基づいた多様で開かれた政治を求めたい。
 第1次内閣は、在職日数は38日間で、戦前も含めて史上最短となった。岸田氏は10月4日に首相に就任し、10日後に衆院解散した。野党が内閣の政治姿勢をただす必要があると要求した予算委員会開催には応じず、所信表明演説のみで衆院を解散した政治姿勢は、憲政の常道に反する。
 9年近く続いた安倍・菅政権は権力の集中を生み、森友・加計問題、「桜を見る会」を巡る政治の私物化、「政治とカネ」の問題が表面化した。
 衆院選で自民、公明の与党は絶対安定多数を確保した。しかし、投票率が戦後3番目に低かった背景に、深刻な政治不信がある。岸田氏は自民党総裁選で「民主主義の危機」と表現した。数の力に頼った政治ではなく、主権者である国民の声に真摯(しんし)に耳を傾けなければならない。
 第2次内閣の外相に岸田派幹部の林芳正元文部科学相を起用した。林氏は、米政界に太いパイプを持つと同時に、日中友好議員連盟会長を務める知中派とされる。
 林氏と沖縄との関わりは2008年の防衛相就任からである。米軍普天間飛行場の危険性除去に関し、仲井真弘多知事(当時)が「閉鎖状態」を求めたが、移設前の「閉鎖状態」実現に難色を示した。
 農相時代の15年3月、名護市辺野古の新基地建設を巡り、翁長雄志知事(当時)が海底作業の停止を指示した。このとき、防衛省が林農相に不服申し立てをし、林農相は県の停止指示の効力を停止した。そもそも行政不服審査法は国民に行政庁への不服申し立ての道を開くのが目的だ。国民ではない行政庁(防衛省)が不服申し立てするのは本末転倒だと批判を浴びた。その当事者が林氏だった。
 外相に就任した林氏には、新基地建設をはじめ県民が要求する地位協定の改定にどう向き合うのか問われる。
 米中対立の激化や台湾海峡情勢の緊迫化で、米国は中国による台湾侵攻への危機感を強めている。4月の日米首脳会談の共同声明に「台湾海峡の平和と安定の重要性」という文言が盛り込まれた。
 年内に日米外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)を控えている。中国への抑止力を米国と共に強化するのであれば、米中対立により日本、とりわけ基地が集中する沖縄が偶発的な衝突に巻き込まれる危険性は高まる。
 第2次岸田内閣は、米中対立を激化させないよう外交力を研ぎ澄ませてほしい。