<社説>川崎米軍機墜落60年 空の安全いまだ実現せず


社会
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 米軍戦闘機がうるま市川崎(当時、具志川村川崎)に墜落し、2人が犠牲となった事故から7日で60年がたった。

 これ以降も今日まで米軍機による事故は後を絶たない。原因も究明されないまま事故機の運用が続く。およそ民間機では考えられない事態だ。米軍に特権を認めていることが県民を長く危険にさらし続けている要因になっていることは明白だ。日米地位協定の改定に即刻取り組むべきだ
 川崎で事故を起こした米軍戦闘機F100は当時「音速を超えた世界初の実用戦闘機」として嘉手納基地に配備されていた。開発段階を含め、事故率の高かった「欠陥機」は、1959年6月に石川市の宮森小学校に墜落する。児童ら18人が犠牲となった。この大惨事を経てもF100の運用を続け、発生したのがその2年後、61年12月の川崎の墜落事故だった。2人が死亡、6人が負傷した。
 宮森小への墜落では人為的ミスの事故原因は伏せられ、事故機の運用は続けられた。そして川崎の事故へとつながった。
 日本復帰後も住民の不安を顧みない不誠実な米軍の対応に変化はない。復帰以降、不時着や墜落、部品落下といった米軍機関連の事故は、ほぼ毎月のペースで発生しているが、原因の公表前に飛行を再開することがほとんどだ。
 川崎の事故からちょうど56年後の同じ日、米軍機の部品が宜野湾市内の保育園に落下した。4年前の2017年のことである。その6日後には普天間第二小の運動場に米軍の大型輸送ヘリコプターから重さ約8キロの窓が落下した。体育の授業中だった。1年前には名護市安部でオスプレイが墜落している。原因が明らかでない、再発防止の徹底が担保されていない時点で同型機が飛行を再開している。
 いま挙げたケースに限らず、米軍機事故のほとんどに共通することだ。地位協定によって日本の航空法が米軍に適用されないからだ。沖縄の空の安全を実現するためには、地位協定を抜本的に改定し、法の網を米軍にもかぶせる必要がある。
 川崎の墜落事故から60年の節目のことし、地域の学校で初めての取り組みがあった。地域で語られることの少なかった事故について、川崎小では13年から事故を知る人たちを招いて講話を聞き、事故について学んできた。ことしは約80人の6年生全員が取材班、調査班などに分かれて調べ学習で学んだ。
 記憶の継承者として事故に向き合った子どもたちは「基地があるから県民の被害もなくならない」との体験者らの言葉を集会で発表した。
 事故の記憶を胸に、米軍機の騒音にさいなまれながら暮らす人々の実感である。県民の命は今も危険にさらされている。事故後の運用再開を追認する姿勢を日本政府は改め、県民の不安に真摯に向き合わなければならない。