<社説>倉敷ダム不発弾 除去は日米政府の責任だ


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄市とうるま市にまたがる倉敷ダムから沖縄戦当時のものとみられる小銃弾の不発弾などが見つかり、県は同ダムからの取水を止めた。戦後77年たっても戦争の爪痕が残っていることを思い知らされる。同時に戦後処理が完全に終わっておらず、現在に続く課題であることも示した。

 倉敷ダムから取水する北谷浄水場は、中南部7市町村45万人に水道水を供給する。県は安全性の確保を最優先に国などと連携する必要がある。
 ただ77年前、戦闘とは無関係の住民を巻き込み、この地で地上戦を展開したのは日米両国だ。何年たとうが両政府の責任は免れない。まだ残るかもしれない廃棄物の調査・除去は日米両政府が全責任をもって当たるべきだ。
 倉敷ダムは1961年に米国民政府が瑞慶山ダムとして建設した。当時は基地内にあった。95年までに返還され、96年から県管理ダムとして運用している。
 当時を知る住民から、72年の復帰より前には弾薬が野積みされていたという証言もある。今回見つかった不発弾などもほとんどが米軍由来のものである可能性は高い。
 倉敷ダムでは2009年にも小銃弾約2千発が見つかっていた。ただし県は当時、県民に事実を知らせず、取水停止もしなかった。
 飲み水の汚染は、住民の健康に直結する問題である。ことさら危険性を強調する必要はないが、少なくとも事実を発表しなければ県民は飲料水を別に用意するなどの自衛手段も取れない。今回も発見から公表まで10日を要している。県には猛省を促す。
 一方で、改めて米軍基地に由来する環境問題への対応が不十分であることも浮き彫りになった。
 2013年には沖縄市の米軍基地返還跡地からドラム缶が見つかり、その後枯れ葉剤の主要成分が検出された。
 当時も米軍は記録不備などを理由に枯れ葉剤貯蔵の事実を認めなかった。今回も同様の結果にならないか不安が残る。米軍側が「記録にない」と突っぱねれば、ダムに沈む不発弾の行方は宙に浮く。
 米本国では、化学物質を貯蔵、使用した履歴を残し、基地を閉鎖した後の環境浄化に活用している。化学物質に限らず、沖縄の土地で何をしていたのか、返還時にどのような処置をしたのか、使用履歴を残すのは当然であろう。なぜ本国で徹底している運用が沖縄ではできないのか。
 やはり米軍にあらゆる面で特権的な地位を与える日米地位協定が諸悪の根源である。
 米軍は沖縄の土地をどれだけ汚そうと、原状回復義務を免除される。15年に締結した環境補足協定も調査や結果公表は「米軍の許可・同意」が前提で、実効性はほぼない。
 沖縄県民の健康や安心できる生活環境を守るには地位協定改定が必然だ。主権国家としての日本政府の姿勢も問われている。