<社説>岸田首相「領土」式辞 復帰の目標は人権回復だ

 「戦争によって失われた領土を外交交渉で回復したことは史上まれ」

 15日の復帰50周年記念式典で、岸田文雄首相は沖縄の施政権返還を「失われた領土の回復」と述べた。50年前の式典で、当時の佐藤栄作首相が述べた言葉をなぞったものだ。
 「領土」を持ち出してナショナリズムに訴え、国家の一大事業として強調したい保守政治家の意図が当時も今もあるのだろう。しかし、沖縄が「復帰」に求めたのは人権の回復だった。それを領土交渉や基地機能の維持にすり替えた日米間の交渉は、県民の願いを踏みにじるものだった。
 一方で、外務省は「法的には沖縄は米国の領土になったことはない。施政権が一時的に米国にいき、沖縄返還で日本に戻った」とし、首相との不一致を露呈させている。
 1951年に締結され、沖縄などの米国統治を確認したサンフランシスコ講和条約の第3条について、締結時の吉田茂首相は「同条は日本の権利権原の放棄を明記していない。これらの諸島への主権が日本に残る」と述べ、領土の最終処分権は日本にあるとする「潜在主権」を強調していた。外務省の見解はこれらの経緯を踏まえたものだ。
 これまでの大臣答弁でも、憲法施行(47年5月3日)以来、沖縄県民は一貫して日本国憲法の下にあったが、米国の施政権下では実効性を持って適用されなかったというのが日本政府の見解だった。岸田首相の式辞は外交史の不見識をさらしたと言える。
 だが、「潜在主権」についても、沖縄住民が置かれた実態を踏まえることが必要だ。
 米国は第2次大戦の戦後処理の原則として「領土不拡大」を約束していた。敗戦後、日本側は「天皇メッセージ」や吉田・ダレス交渉で、日本の独立と引き替えに、沖縄の長期租借を米政府に提案。領土不拡大の建前を保った上で、これまで同様、米国が排他的に沖縄を自由使用するお墨付きを国際的に与えたのが講和条約だった。
 国家の都合で帰属があいまいにされたことで、沖縄の住民はより過酷な運命を歩まされた。日本から分離され、かといって米国の法律や民主主義も適用されない。土地は強制的に基地へと接収され、事件事故を起こした米兵は軍事裁判で無罪になる。
 日本国憲法の適用による人権の回復を求め、多くの県民が立ち上がったのが日本への復帰運動だった。少なくはあったが国連の信託統治や独立の主張もあり、沖縄の帰属を自ら決めるという意志と努力が時代を動かした。
 だが、日本に復帰はしたが沖縄の基地は維持され、米軍による自由使用が今も続く。岸田首相の式辞からは、沖縄を領土とだけ見なし、日本の安全保障に利用する国家の本質が垣間見える。
 沖縄にとって「復帰」は今も続く未達の目標だ。住民の視点から歴史を学ぶことだ。



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