<社説>安倍氏国葬と世論 民意を無視して行うのか


社会
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 9月に行われる予定の安倍晋三元首相の国葬に世論の反応が分かれている。国葬は、国費を投じて国民に追悼を求めるものであり、憲法が保障する内心の自由に抵触する。根拠となる法律がない。

 共同通信社が実施した全国電話世論調査によると、安倍氏の国葬に否定的な意見は計53・3%を占め、琉球新報のアンケートも65%が反対し、賛成を上回った。
 だが、岸田政権は閣議決定という手法で国葬を決めた。世論は国会に諮らず三権分立を軽視する岸田政権批判をしているのだろう。それでも国葬を実施するのか。
 首相経験者を対象とした国葬は、実施されれば1967年の吉田茂元首相以来で、戦後2例目となる。戦前は国葬の実施や対象者を定めた勅令の「国葬令」が法的根拠になっていたが、現行憲法の施行に伴い効力を失った。
 吉田氏の国葬はそもそも異例だった。吉田氏の国葬を決めた佐藤榮作首相の国葬当日の日記は「先例もなく参考になる様な事もないので一寸心配した」と記されている。法令にない国葬の実施に後ろめたさを感じていたのだろうか。
 岸田政権は過去の事例を学んでいない。今回の国葬を内閣府設置法に定める「国の儀式」と位置付けた。この決定は牽強付会である。
 慶応大学名誉教授の小林節氏(憲法学)は内閣府設置法は「内閣が元首相の国葬という新しい儀式類型を創出して良いという規定でない」として「明らかに違憲」と批判し、内閣府だけで決めるのなら「内閣葬」がふさわしいと主張している。
 では吉田氏の国葬後の論議はどうだったのか。吉田氏国葬の1年後の1968年5月9日、衆院決算委員会で問題になった。国会議事録によると、政府の思い付きで国葬を実施することに承服できないという質問に水田三喜男蔵相はこう答弁している。
 「国葬儀につきましては、御承知のように法令の根拠はございません(中略)私はやはり何らかの基準というものをつくっておく必要があると考えています」
 当時の政権は吉田氏の国葬の在り方の瑕疵(かし)を認識していたとみていいだろう。だが、その後吉田氏の国葬の反省を踏まえた国葬の基準は検討されてこなかった。
 国民の意見が二分する問題を国会の議論を経ずに決めることが許されるのか。
 この傾向は安倍政権から顕著だ。2014年、憲法に抵触する集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更を閣議決定した。稲嶺県政が米軍普天間飛行場の移設先を名護市辺野古の沿岸域に容認する際、軍民共用空港とし使用期限を付けることで合意した沖縄県と政府との約束も、閣議決定で一方的に廃止された。
 過去の経緯を踏まえるのなら、岸田首相は国葬の是非を閣議決定ではなく、国会の論議に委ねるべきだ。