<社説>’22回顧・施政権返還50年 「真の平和」実現に決意新た


社会
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 沖縄は今年の5月15日、1972年に施政権が米国から日本に返還されてから50年の節目を迎えた。復帰に関する式典やシンポジウム、報道などが多く展開され、沖縄の現状や歴史を見つめ直し、将来像を探る機会となった。

 再確認されたのは半世紀たっても変わらない過重な基地負担だ。今年はウクライナ戦争を引き合いに尖閣・台湾有事を叫び、沖縄への軍備強化を進める動きが活発化した。県内では沖縄が再び沖縄戦時のような戦場になるのではと不安が高まっている。
 沖縄戦を経験し過重な基地負担に苦しんできた沖縄は「軍事力では平和は実現しない」と身に染みて知っている。軍隊があれば標的になり、その軍隊は住民を守らないという教訓を沖縄戦で学んだからだ。基地が一層強化されている今、軍事力によらない「真の平和」の大切さを再認識し、その実現への誓いを新たにする1年となった。
 復帰の前年、当時の屋良朝苗琉球政府主席は「復帰措置に関する建議書」を政府に提出した。基地撤去を前提に、地方自治や基本的人権の確立、反戦平和、県民本位の経済開発を基本理念に据えた新しい県づくりを提起した。政府はこれを黙殺した。屋良氏は72年の式典で沖縄の「厳しさは続き、新しい困難に直面」することを憂慮した。まるで今の沖縄を予言した指摘である。
 50周年式典で岸田文雄首相は沖縄の基地負担軽減に「全力で取り組む」と述べたが「日米同盟の抑止力維持」が条件で、名護市辺野古の新基地建設は撤回しなかった。玉城デニー知事は「『沖縄を平和の島とする』という目標が復帰50年たってなお達成されていない」と指摘。「基地なき島」の実現を巡り隔たりは大きい。
 50年の節目は復帰に伴い始まった沖縄振興を考える機会にもなった。現在まで6次にわたる沖縄振興(開発)計画で道路や空港・港湾などインフラ整備が進み、観光業など経済は著しく発展した。一方で全国最下位の県民所得や高い非正規雇用率、全国約2倍の子どもの貧困率など課題が浮き彫りに。公的投資依存や、所得が外に流れ出てしまう「ザル経済」からの脱却など経済自立は道半ばだ。
 沖縄のアイデンティティーの揺らぎも焦点になった。本紙が5年に1度実施している県民意識調査によると、しまくとぅばを話せる人は25・4%で、5年前より15・8%も減った。話せない人は72・8%。沖縄の文化・芸能や県民であることへの誇りは高い割合だが、しまくとぅばが生活の場から消える危機に直面している。公教育に積極的に導入するなど対策が必要だ。
 屋良氏は50年前の式典で「沖縄がその歴史上、常に(日米の)手段として利用されてきたことを排除」すると述べ、沖縄県民が自らの未来を自ら決める自己決定権の確立を求めた。沖縄は常にこの原点に立ち返る必要がある。