<社説>宮古沖陸自ヘリ事故 情報を開示し説明尽くせ


社会
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 宮古島沖で行方不明になった陸上自衛隊UH60JAヘリコプターの機体主要部が見つかった。搭乗者と見られる5人も見つかり、引き上げられた4人のうち2人の死亡が確認された。水深106メートルでの危険が伴う作業だ。自衛隊は、潜水員らの安全を確保しながら一刻も早く全員を引き上げてほしい。ただ、捜索についての情報開示が不十分だ。捜索に協力している地元の不安は大きい。納得が得られるよう説明を尽くすべきだ。

 10人の生命が関わる重大事故だが、発生から10日以上経過しても原因が分かっていない。搭乗していたのは熊本を拠点とする第8師団の師団長以下の幹部ら9人と宮古警備隊の幹部1人で、周辺の航空偵察をしていた。幹部を同時に多数失ったことも前代未聞であり、政府、自衛隊にとって大きな衝撃だ。
 安全性が高いとされている機種で、整備に問題はなく、パイロットも優秀なはずだ。天候も問題はなかったのに、救難信号も発しなかった。何が起きたのかは、フライトレコーダー(飛行記録装置)の回収を待つしかないだろう。
 定員約5千人の第8師団は熊本、宮崎、鹿児島県を管轄する。2017年末に全国に先駆けて「機動師団」となった。南西諸島で事が起これば、航空機や艦船で移動し機動戦闘車を駆使する「即応機動連隊」を運用する。
 今回の飛行コースからは、自衛隊が「有事」に使用を想定している民間港や、沖縄県と政府で軍事利用しないことが確認されている下地島空港などを間近に見ようとしていたことが分かる。
 搭乗していた坂本雄一師団長は3月に着任したばかりだった。自衛隊関係者は「いざとなれば展開する可能性のある地域を、就任後すぐに見ておくことは一般的によくあることだ」と説明している。第8師団が南西諸島に緊急展開する時は、南西諸島が戦場になる時だ。この不幸な事故は、いざとなれば南西諸島が戦争の最前線になるという想定で準備が進められているという事実を改めて示した。
 1914年に沖縄本島での戦争を想定した軍事演習を実施したのは熊本を拠点とする第6師団だった。1879年の琉球併合(「琉球処分」)の際に派遣されたのは、第6師団の前身の「熊本鎮台」の兵士だった。熊本を拠点に沖縄を最前線にする歴史が繰り返されてはならない。
 陸上自衛隊の「南西シフト」で、部隊の新設や増強が急激に進められている。自衛隊がいなかった島にも数百人単位で隊員が配置され、装備や弾薬が持ち込まれている。今後、隊員らによる事件や事故の増加も懸念されている。そんな中での今回の事故は、自衛隊機の事故の不安も呼び起こした。原因究明と再発防止策を早急に示すことは当然だが、南西諸島を戦争の最前線にせず、平和構築の舞台にする努力こそ必要だ。