<社説>宮森小米軍機墜落64年 脅威は今も続いている


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 死者18人、重軽傷者210人を出した石川市(現うるま市)の宮森小学校米軍ジェット機墜落から64年を迎えた。

 今も後遺症に苦しむ人がいる。体験者は心に深い傷を負った。遺族の悲しみは続いている。私たちは、この事故を過去のものとして受け止めるわけにはいかない。
 人命を奪う墜落事故の脅威も今日まで続いている。その点でも宮森の事故は過去のものではない。事故原因や当時の米戦略を考えれば、沖縄が現在置かれた状況と無関係ではないことが分かる。
 1959年の事故当時、墜落原因について米軍は「エンジン故障による不可抗力の事故」と発表していた。しかし、米空軍がまとめた事故調査報告書は「最大の要因は整備ミスだった」と結論付けている。人為的な原因で重大事故が起きたのだ。
 宮森小に墜落したF100は水爆を搭載できる機種であった。1950年代、大量の核兵器が沖縄に持ち込まれた。この機種が沖縄に配備されたのも米国の核戦略の一環である。しかも、開発段階から事故を繰り返し、47人のパイロットが死亡する“欠陥機”であった。
 墜落事故による18人もの犠牲は、米軍の人為的な整備ミスと、嘉手納基地にF100を配備した米核戦略によってもたらされた。このことは今日でも重大な意味を持つ。相次ぐ米軍機事故の原因や背景は現在と通じるものがある。
 米海兵隊の大型輸送ヘリCH53Dが沖縄国際大に墜落した2004年の事故は普天間飛行場の危険性を浮き彫りにした。17年の普天間第二小学校や保育園への部品落下は児童や保護者に強い衝撃を与えた。しかも、多くの事故において原因は機体の不具合なのか、機種の欠陥なのか、操縦士や整備士のミスなのか、県民に知らされない。
 一方、試験段階から事故が多発していた垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが「抑止力向上」を名目に12年10月、普天間飛行場に配備された。県民の不安は的中し、16年に名護市で墜落事故が起きた。米海兵隊の統計でもオスプレイの事故発生率は高い。
 県民の生命保護を軽視した米軍機運用と米戦略優先を放置する限り、事故は今後も起こりうる。問題は日本政府が事故原因について米側から明確な説明を得ることができず、抜本的な事故防止策を求めきれないことである。基地の機能維持に固執する米軍の横暴に日本政府の無作為が加わった。事故の加担者だと言わざるを得ない。
 中国や北朝鮮などの脅威を掲げ、沖縄の島々で防衛力強化が急速に進んでいる。それによって、事故の可能性が増しているのである。
 県民にとっては米軍機事故こそ切迫した脅威だ。日本政府はそのことを直視しなければならない。宮森の悲劇は今日の県民が直面している悲劇でもあるのだ。