<社説>奄美復帰70年 歴史を刻み、共に未来へ


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<社説>奄美復帰70年 歴史を刻み、共に未来へ
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 先の大戦後、沖縄と同じく米国の直接統治下に置かれた奄美群島は25日、1953年の日本復帰から70年の節目を迎えた。圧政から脱し、自治を回復しようと住民一丸となって復帰を獲得した歴史を振り返り、語り継いでいかなければならない。

 奄美は46年2月2日、GHQの「2・2分離宣言」により、鹿児島県から引き離され、米軍政下に置かれた。本土渡航は制限され、特産の大島紬や黒糖の搬出も禁止された。慢性的な物資不足に直面する中、復帰を求める声が日増しに強まった。51年には奄美大島日本復帰協議会が発足。署名活動や断食による抗議など運動が広がった。
 52年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効により、奄美群島と沖縄は日本から切り離された。この日を奄美は「痛恨の日」、沖縄は「屈辱の日」と呼ぶ。奄美では条約発効後も復帰運動を展開、1年半後に復帰を勝ち取った。
 しかし、復帰に伴い、沖縄在住の奄美出身者は「非琉球人」として、外国人登録を義務付けられ、公職からの追放や参政権剥奪など苦難を強いられた。分断と差別の歴史からも目を背けず、刻んでいかねばならない。
 復帰後は、国主導による振興開発により、インフラ整備が進んできた。一方、国勢調査によると人口は復帰直後の55年の20万5363人から、2020年には10万4281人とほぼ半減している。
 政府は、来年3月に期限切れを迎える奄美群島振興開発特別措置法を継続する意向だ。21年には、沖縄・奄美が世界自然遺産に登録された。
 今後は、環境保全と地域振興の両立、地域課題の解決に向けて奄美と沖縄の連携をより深めていきたい。歴史的にも文化的にも関係の深い奄美と沖縄が共に発展することが、琉球弧の活性化につながる。
 懸念されるのは、急速に進む防衛力の強化だ。19年3月には、陸上自衛隊の奄美駐屯地(奄美市)、瀬戸内分屯地(瀬戸内町)が開設した。警備隊、地対艦・地対空ミサイル部隊が配備されている。日米共同訓練は開設後からたびたび実施されており、沖縄同様に、「要塞化」が進んでいる。奄美空港には米軍のオスプレイの緊急着陸が頻繁に起きている。
 人口増や経済活性化を求め、自治体は自衛隊を受け入れたが、自衛隊に依存する経済構造は持続的とは言い難い。急速な軍備強化は、周辺諸国との緊張を高めかねず、有事の際には軍事施設がかえって標的となる恐れがある。
 昨年、復帰50年となった沖縄でも防衛力強化が進む。南西諸島が戦争の「前線」となるようなことがあってはならない。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓もある。沖縄を含め、琉球弧を平和の拠点として位置づける取り組みを一体となって進めていきたい。