<社説>「屈辱の日」 対米従属の犠牲にならぬ


<社説>「屈辱の日」 対米従属の犠牲にならぬ
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 沖縄や奄美群島、小笠原諸島を日本から切り離し、米国統治に置いたサンフランシスコ講和条約の発効から、28日で72年となった。自らの運命を決める権利を奪われ、軍事の島として米国に差し出された「屈辱の日」である。

 沖縄の「屈辱」は過去のものではない。反対の声を無視して進められる基地建設に軍備増強、欠陥機オスプレイの飛行再開、市街地周辺でのパラシュート降下の強行。県民の平和に暮らす権利は今も踏みにじられている。
 これ以上、沖縄は対米従属の犠牲になるわけにいかない。自らの将来を自ら決める権利を追求し、大国に利用される歴史に終止符を打たなければならない。
 敗戦国の日本はサンフランシスコ講和条約の発効により、沖縄と引き替えに「独立」を果たしたとされる。だが実際の姿は主権国家と程遠い。同時に発効した日米安全保障条約と日米行政協定(現在の日米地位協定の前身)で在日米軍の治外法権を認め、米国への追従が始まった。
 1972年に沖縄の施政権は日本に返還された。しかし広大な米軍基地は沖縄に変わらず存在し、日本政府は基地の自由使用を引き続き米軍に担保した。返還交渉時には沖縄への核の再持ち込みを認める密約まで交わしていた。
 地位協定により米軍は日本の国内法を免れ、基地を排他的に使用できる。日本の領空にもかかわらず米軍に管制権がある空域も各地に存在し、日本の航空法に拘束されない低空飛行がまかり通る。
 辺野古新基地建設に伴うサンゴ移植を巡る沖縄県と国の訴訟では、またしても最高裁が県の訴えを門前払いにした。民主主義や地方自治の手続きよりも基地建設に固執する政府の手法が問われているが、日米安保の問題となると司法まで思考停止し、国民の権利救済の役割を放棄する。
 「屈辱の日」から今日まで、沖縄の軍事植民地的な扱いは変わっていない。日本政府は米軍優先の不平等のツケを沖縄に押し込めることで、主権が侵害される実態を沖縄以外の国民の目に入らないようにしてきたのではないか。だとすれば、沖縄は今も日本から「切り離され」ているといえよう。
 現状はさらに深刻だ。中国との「台湾有事」をにらんだ米軍の演習激化に加え、軍事衝突の際には自衛隊が戦闘の前面に立つことで南西諸島での基地拡張が進む。住民の避難用シェルター整備や島外への避難計画の策定が自治体に促され、「新しい戦前」と呼ばれる状況が生じている。
 バイデン大統領との首脳会談で岸田文雄首相は日本を米国の「グローバル・パートナー」とした。中国を阻む「盾」として米国への一層の従属を意味するのであれば、断固として拒否する。
 沖縄の未来を閉ざす南西諸島の要塞(ようさい)化に、あらがわなければならない。