<社説>施政権返還52年 「復帰の誓い」再確認の日に


<社説>施政権返還52年 「復帰の誓い」再確認の日に
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄はきょう1972年の施政権返還(日本復帰)から52年の日を迎えた。

 米統治から日本の施政権下に移った日から今日までの沖縄の歩みは決して平たんなものではなかった。
 在沖米軍基地から派生する事件・事故による人権侵害や環境破壊は常に県民生活を脅かしてきた。県民の願いに反し、普天間飛行場返還に伴う辺野古新基地建設を強行する政府との対峙(たいじ)が続いている。
 県経済は成長を重ねてきたが県民所得は全国平均の7割程度にとどまっている。コロナ禍と物価高騰の中で低所得者層を取り巻く環境は厳しさを増している。「子どもの貧困」問題は未解決のままだ。
 沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興の諸施策は(1)27年間、米統治に置かれた歴史的事情(2)米軍専用施設・区域が集中する社会的事情(3)日本本土から離れ、広大な海域に島が点在する地理的事情―という特殊事情に対処するものである。
 沖縄振興の諸施策によって、着実に県民生活の水準の向上が図られてきたが、特殊事情の克服が十分になされたとは言えない。第3次産業に偏重した経済構造の脆弱(ぜいじゃく)性が指摘されている。米統治の間、子育てなどの施策が本土に立ち遅れた。米軍基地集中は変わらないどころか、基地機能の強化が進んでいる。
 これらの課題と向き合いながら県民は「平和で豊かな沖縄」を目指して歩んできた。それは今後も変わらない。
 「防衛・外交は国の専権事項」という紋切り型の国の姿勢に異議を申し立て、日米同盟のくびきから脱するための模索が続くであろう。県が進める沖縄独自の地域外交は東アジアの緊張緩和を促すため有効な手段となり得る。
 私たちは現在、「新たな戦前」とも呼ぶべき困難な状況に直面していることを自覚する必要がある。先島で続く自衛隊増強、中国を念頭に置いた民間空港・港湾施設の整備など沖縄の軍事拠点化に歯止めをかける必要がある。そのバックボーンとなるのは沖縄の歴史的経験だ。
 うるま市石川の陸上自衛隊訓練場を断念に追い込んだ党派を超えた反対運動は、1959年の宮森小ジェット機墜落事故の悲劇を繰り返してはならないという決意を踏まえたものだ。私たちは今一度、沖縄戦体験と戦後史、そして復帰後の歩みに学びたい。
 ひめゆり学徒隊引率教師で琉球大学の教授だった仲宗根政善氏は52年前のきょう、郷里の今帰仁村で戦争体験者の聞き取りをしている。
 仲宗根氏はこの日の日記に「今日を期して、沖縄は基地の島から平和への島へとはっきり転換しなければならない。十数万の同胞を失った県民が、戦争体験の上に立ってはっきりと平和への誓いをかたくする日でなければならない」と記している。
 県民の誓いは今も不変であることを再確認したい。