<社説>移民110年式典 苦難の歴史 学び伝えよう

 沖縄からブラジルに移民が渡って110年の節目を迎え、沖縄からの訪問団も参加して5日に盛大に記念式典が開かれた。苦難を乗り越えてブラジルの地で生きる県系人が結束して「ウチナーの絆」を確認する姿は、沖縄県民にとっても大きな誇りである。移民1世らの苦難の歴史を学び、母県でもしっかりと語り継いでいかなければならない。

 沖縄から最初に南米に移民が渡ったのは1906年のペルーだった。08年には神戸港から「笠戸丸」がブラジル・サントス港に渡った。その中の325人が、沖縄からの最初のブラジル移民となった。「笠戸丸」では、乗船前に預けたお金を移民業者に横領されるなど、最初から苦難の連続だった。
 この年、一部の人たちはブラジルからアルゼンチンに移り、ペルーからボリビアに入った人々もいた。110年の式典が8日にアルゼンチンで、12日にボリビアでも開かれる。
 5日の式典でブラジル沖縄県人会の島袋栄喜会長は「現在の県人社会は先人たちの教え、人間愛と相互扶助の精神、祖先や文化を大切にするウチナーンチュの心に支えられている」と述べた。
 県人会は3世、4世以降の時代となっており、若い世代が日本語もしまくとぅばも分からないのは当たり前であろう。そんな中でアイデンティティーや文化の継承に努めてきた。その気概と誇りが島袋会長の言葉に集約されている。
 海外の県人会から、沖縄のアイデンティティーを強く意識して伝統芸能や文化、言葉を学ぶ人たちが多く出ている。一昨年の第6回世界のウチナーンチュ大会には海外から7297人が参加し、県民の心を熱くした。若い世代が世界的なネットワークをつくり、活動を始めていることも頼もしい。
 一方で、世界のウチナーンチュ大会での海外のウチナーンチュの熱気に比べて、母県である沖縄県民の熱に濃淡があるという声もあった。それは、移民の歴史が県民に十分に共有されていないためであろう。
 近代化が急速に進められたこの時代、沖縄から多くの人々が海外へ移民していったのは、沖縄の経済的困窮があったからだ。夢を抱いて渡った移民地の多くは募集時の宣伝とは異なる過酷な環境で、厳しい生活と重労働が待っていた。第2次世界大戦が始まると、米国では財産を没収されて強制収容所に送られ、ペルーからは日本に強制送還された。どの移民地にもつらい歴史がある。
 世界のウチナーンチュの歴史を県民の歴史の一部として学び、次の世代にきちんと伝えていくことも県民の務めである。南米各地で移民110年を迎える今、移民史にもう一度しっかりと目を向けたい。



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