<社説>ロヒンギャ難民 一日も早く帰還の道筋を

 ミャンマーのイスラム教徒少数民族ロヒンギャとミャンマー治安部隊の衝突が昨年8月下旬に起こってから1年が過ぎた。隣国バングラデシュに逃れた70万人を超えるロヒンギャ難民は、今も命の危険にさらされる状況に置かれたままだ。

 ミャンマー政府がロヒンギャを国民と認めていないため、難民には国籍がない。それが帰還を阻んでいる。国際社会は難民の支援を強化するとともに、ミャンマー政府の説得に力を注ぐべきだ。
 長く軍事政権が続いたミャンマーで2016年にアウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)の政権が成立し、民主化の途上にある。当初からロヒンギャ問題は難問とみられていた。ロヒンギャ迫害は宗教や言葉の違いによる差別だけではなく、歴史的背景があるからだ。
 18世紀以前からイスラム教徒は仏教徒と共存していたとみられる。19世紀にインドを植民地支配していた英国との戦争の結果、英国領インドの一部になる。そこへインド東部ベンガル地方から多くのイスラム教徒が入り、定住した。英国はイスラム教徒と仏教徒を反目させる分割統治を進めた。その反発からミャンマー人のナショナリズムがロヒンギャ敵視につながり、独立後に受け継がれている。
 ミャンマーには135の民族が住む。しかし、ミャンマー政府はロヒンギャを英国との戦争以後に入ってきたとして「不法移民」として扱っている。12年には仏教徒による襲撃事件をきっかけにロヒンギャの移動を禁じて隔離し、劣悪な環境に追いやった。そして昨年の衝突が起きたのである。
 東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議は、2日に発表した声明でロヒンギャ問題について「避難民の安全、確実で遅滞のない自発的な帰還」「対立の根本的な原因を解決する必要性」を強調した。内政不干渉を原則としたASEANとしては踏み込んだものだった。
 こうした国際世論を受けて、ミャンマー政府はロヒンギャ迫害を調べる独立調査委員会を設置した。4人のうち2人が外国人で、議長はフィリピンのマナロ元外務副大臣が務め、日本の大島賢三・元国連大使も委員だ。
 複雑な歴史と根深い差別の中で、根本的解決は容易ではない。まずは、危機的状況が続く難民の生活と命を守ることである。そして、ミャンマー国内で人権が保障されるようにすることが必要だ。一日も早く帰還への道筋を付けなければならない。
 日本政府は国際機関を通して難民への財政支援をしている。しかし、それだけでは不十分である。日本は軍事政権時代にも多大な経済援助をしてきた。ミャンマーを投資先として見るだけではなく、人権を尊重する民主国家となるよう促すことも日本の重要な責務である。