<社説>ハワイ沖縄プラザ 落成で絆を一層強めたい


社会
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 ハワイの県系人と母県・沖縄の絆を象徴する新たな施設が誕生した。ハワイ沖縄プラザだ。構想から十数年を経て今年5月に完成、盛大な落成式典が3日(日本時間4日)に米ハワイ州ワイパフで催された。

 ハワイ沖縄連合会の活動拠点であるハワイ沖縄センターの運営費や連合会の活動資金などを捻出しようと建設された商業施設だ。「幾世までぃん(いつの世までも)」をスローガンに掲げ、連合会が一丸となって取り組んだ。
 連合会の新たな関連施設が完成したことをハワイの人々とともに喜びたい。
 ハワイ沖縄プラザは2階建てで、延べ床面積が約1500平方メートル。医療関係やレストランなどが入居する。ハワイ沖縄センターの隣に立地している。
 1990年に開館した同センターは沖縄文化の継承・発信拠点、沖縄との交流拠点として重要な役割を担ってきた。四半世紀を経て老朽化も進んだ。沖縄プラザのテナント料による収益が、センターの修繕・維持費や連合会が催す行事の運営費などに充てられる。
 県内ではハワイ沖縄プラザ建設募金推進本部が寄付を呼び掛け、目標の1億円を超える寄付金を集めた。ハワイと母県の結びつきがプラザ建設の基盤になった。
 1900年、沖縄の海外移民が初めて訪れたのがハワイだ。33年の時点で1万人以上が在留し、沖縄に多額の送金をしていた。
 県系人は、戦後の食料不足を支援しようと寄付金を募り、48年に豚550頭、49年にヤギ700頭を沖縄に贈っている。県内で募金活動が始まったのはその恩返しの一環だ。沖縄の復興・救済に力を注いだ県系人の温かい心を決して忘れてはならない。
 ハワイと沖縄はいずれも気候が温暖な島嶼(とうしょ)地域だ。観光が産業の柱になっている点も共通している。
 相互の交流は長くて深い。那覇市と州都ホノルル市が61年に姉妹都市を結んだのを皮切りに、63年に石垣市とカウアイ郡、65年に平良市(現・宮古島市)とマウイ郡、85年に沖縄県とハワイ州、86年に名護市とハワイ郡ヒロ、2011年に久米島町とハワイ郡コナが、それぞれ姉妹・友好都市となった。
 今や県系人は文化、産業、教育などハワイ社会のあらゆる分野で活躍する。ハワイ県人連合会の会員は約4万人だ。一方で、会員の減少、活動資金の造成なども課題として上がっている。状況を打開するためにハワイ沖縄プラザが計画された。
 落成式典でハワイのイゲ州知事が指摘したように、プラザ建設によってハワイと沖縄のつながりが一層深まったのは間違いない。
 この大切な絆をさらに発展させて後の世代に引き継ぎ、ハワイの県系人と母県の連携を深めていく必要がある。