<社説>本紙創刊125年 県民本位の姿勢を貫く

 琉球新報はきょう創刊125年を迎えた。明治、大正、昭和、平成の激動の時代を歴史の目撃者として記録し、県民の利益、人権を守る姿勢で報道、言論を続けてきた。

 県紙として持続できているのも県民の支えがあったからである。今後も県民本位の新聞として、沖縄の発展のために県民と歩んでいきたい。
 沖縄初の新聞として琉球新報が産声を上げたのは1893(明治26)年9月15日だ。「琉球処分」から14年後のことで、最後の琉球国王尚泰の四男・尚順を中心に太田朝敷ら20代の青年が創刊に結集した。
 本紙は負の歴史も背負う。
 新聞統制による一県一紙体制で、1940年には沖縄朝日新聞、沖縄日報と共に「沖縄新報」に統合された。
 軍部の意向に沿い、戦意高揚をあおる記事を載せ、県民を戦場に駆り立てたのは痛恨の極みである。沖縄戦で県民の多大な犠牲を生んだ責任の一端は、新聞も免れない。
 沖縄新報が発行を停止した45年5月末から7月末までの2カ月間、沖縄からは新聞が消えた。報道機関が空白になるという日本の新聞史上、極めて特異な歴史だ。
 戦前戦中の深い反省を踏まえ、私たちは沖縄を二度と戦場にはさせないという強い決意で報道してきた。社是の「恒久世界平和の確立に寄与する」を引き続き希求したい。
 戦後は45年7月26日に米軍政府機関紙として「ウルマ新報」が現在のうるま市石川の収容所で発刊。「うるま新報」に改題後、47年4月に戦後の民間企業第1号として許可され、言論機関として復活した。その後、戦前の「琉球新報」の名を受け継ぎ、今に至る。
 米国統治下では厳しい言論統制も受けた。60年代に復帰運動が大きなうねりを見せると、米軍の圧政にあらがいながら、世論を後押しする論陣を張った。住民運動と足並みをそろえる形で施政権返還を実現させたと言えよう。
 米軍基地から派生する事件・事故や人権抑圧、環境破壊、生活侵害などに対しては一貫して異を唱え、日米両政府の基地維持政策を批判してきた。報道の立脚点は常に民衆の側であったし、今もそうである。
 だが、戦後73年がたっても、基地負担は重くのしかかる。沖縄の不条理な現実を今後も内外に発信し、両政府に解決を求めていく決意である。
 インターネットが普及した今、玉石混交の情報が飛び交う。沖縄を標的にした悪意あるフェイク(偽)ニュースも意図的に流されている。裏付け取材した事実を基に検証していきたい。ネット時代だからこそ、真実を追求する新聞力の出番だと自負する。
 創刊期の琉球新報は権威に対しても毅然(きぜん)と主張し、「紙ハブ」の異名を取った。その批判精神、反骨精神を受け継ぎ、県民の側に立って、沖縄の未来を切り開いていく報道、言論を続けていきたい。