<社説>普天間返還合意23年 即時無条件閉鎖しかない


社会
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 米軍普天間飛行場の全面返還合意から23年が過ぎた。やがて四半世紀がたとうというのに、世界一危険な飛行場はいまだに宜野湾市のど真ん中を占拠している。県民の合意のない県内移設に固執し、住民を危険にさらしている日米両政府の責任は重い。

 当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米国大使が共同で記者会見し、普天間全面返還を発表したのは1996年4月12日だった。前年の95年に起きた米兵による少女乱暴事件で、県民の怒りのマグマが噴き出し、日米両政府は沖縄の基地返還に真剣に取り組まざるを得なくなっていた。
 返還発表は「普天間飛行場の一部機能を嘉手納飛行場内に移転、統合。嘉手納飛行場を中心とする県内の米軍基地内に、普天間飛行場所属部隊のヘリポートを新設する」という条件をしのばせてはいたが、まだヘリの離着陸帯という機能にすぎなかった。
 それが今では、海を埋め立てて2本の滑走路をV字形に配置し、弾薬搭載機能や強襲揚陸艦が接岸できる岸壁を備えた辺野古新基地へと大きく形を変えている。
 普天間返還の原点は、基地あるがゆえの事件や事故にさらされてきた県民に、安全な暮らしを保障する人権の問題だった。それを政府は日米同盟や抑止力の維持へと議論をすり替え、辺野古に代替施設が建設されなければ普天間飛行場は固定化だと県内移設の容認を迫ってきた。
 2月24日の県民投票で、辺野古新基地建設のための埋め立てへの「反対」が有効投票数の72・15%に当たる43万4273票に達した。潮目は大きく変わっている。
 さらに大浦湾海底の軟弱地盤の存在で、辺野古新基地建設は完成までの期間も費用も見通せなくなっている。
 こうした事態に米海兵隊は2019年航空計画に、普天間飛行場を28米会計年度(27年10月~28年9月)まで使用し続ける計画を盛り込んだ。飛行場の改修も記載し、この先も宜野湾に居座り続けようとしている。盗っ人たけだけしいとはこのことだ。
 沖縄戦で上陸した米軍は、宜野湾の住民を収容所に閉じ込めている間に普天間飛行場を建設し、その後も銃剣とブルドーザーで住民を追い立てて基地を広げてきた。戦争時であっても敵国で私有財産を没収することを禁じたハーグ陸戦条約に違反する。もともと無条件に住民へ返還すべき土地なのだ。
 18年度に宜野湾市に寄せられた航空機騒音の苦情件数は684件で、苦情受け付けを始めた02年度以降で最多となった。最新鋭ステルス戦闘機F35Bなど普天間所属機ではない航空機まで相次いで飛来し、騒音を激化させている。
 危険除去に向かうどころか、いつ事故が起きてもおかしくない状態と環境被害の拡大が続いている。もはや一刻の猶予もならない。直ちに閉鎖し全面返還するしかない。