<社説>平成の沖縄 基地問題に苦悩し続けた

 平成がきょうで終わる。基地問題に苦悩し続けた平成の沖縄だった。米軍基地の過重な負担を押し付ける構図は次の令和で断ち切るべきだ。

 平成に入って7年目。激動の今につながる起点として忘れてはならないのが1995年から96年にかけての出来事だろう。
 95年9月に発生したのが米兵による少女乱暴事件である。このおぞましい事件を機に、くすぶっていた県民の怒りが噴出、県民大会につながった。県民要求で掲げられたのが日米地位協定の改定、基地の整理縮小だった。
 振り返ると、地位協定は改定されておらず、運用改善もおざなりだ。基地の整理縮小に向けた動きは始まったものの、普天間飛行場の返還も県内移設の条件付きであり、多くの県民が納得できる道筋は示されていない。
 そして少女乱暴事件の前後で進行していたのが大田昌秀知事(当時)の代理署名問題だった。米軍用地の契約拒否地主に代わって署名するよう国から求められ、大田知事は拒否した。国が職務執行命令訴訟を起こすに至り、結果的に96年8月、県は敗訴した。
 米軍基地の前に人権や自治権は踏みにじられ、それが今も続いている。
 事件は後を絶たない。2016年に元海兵隊員の軍属の男がうるま市で女性を暴行し殺害した。そして今月も北谷町で米海軍兵が女性を殺害している。
 事故も相次ぐ。04年に宜野湾市の沖縄国際大学に米海兵隊のCH53D大型輸送ヘリが墜落した。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイは、反対の声を押し切って強行配備され、16年12月に名護市安部に墜落した。
 元号が平成から令和に変わっても沖縄が置かれる厳しい現実に変わりはない。
 それでも基地から目を転じれば希望と期待の萌芽(ほうが)もあちこちに見られた平成だった。景気の浮き沈みはあったものの、観光は好調で、18年度は1千万人近い人々が来訪した。
 文化面では2000年にユネスコが首里城をはじめとする琉球王国のグスクと関連遺産群を世界遺産に登録した。伝統芸能の組踊も10年、無形文化遺産に登録された。
 芸能面も県出身者らの活躍が目覚ましかった。記憶に新しいのは安室奈美恵さんの昨年の引退だ。県民に自信と勇気を与え、有終の美を飾った。
 スポーツ面では、甲子園で沖縄水産が準優勝、沖縄尚学が優勝、興南が春夏連覇の偉業を達成し、県民を沸かせた。
 女子プロゴルフの宮里藍さんの大活躍も記憶に鮮明だ。バスケットボールBリーグの琉球ゴールデンキングスやサッカーJ2のFC琉球など、プロスポーツチームも次々誕生した。
 令和の時代には、県民の望む方向で基地問題を解決させ、子どもたちが健やかに育ち、その才能を開花させる沖縄を築かなければならない。




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