<社説>強制不妊訴訟判決 被害者の救済置き去りだ


社会
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 国家による人権侵害が明確となった。知的障がいなどを理由にした不妊手術を認めた旧優生保護法に対し、仙台地裁は憲法違反の司法判断を初めて示した。政府、国会とも深く反省し、被害者に寄り添った救済と名誉の回復を急がなければならない。

 ところが仙台地裁は旧法に基づく不妊手術を違憲としながら、手術を強いられた原告への国の賠償責任は否定した。差別を生み放置してきた国を免責し、被害者の救済は置き去りになる。全く理解しがたい論法だ。
 旧優生保護法は1948年に施行された。96年に障がい者差別に該当する「優生手術」の規定が削除され、母体保護法に改正されるまで、戦後半世紀近くも存続した。この間に不妊手術を施されたのは、国の統計で確認できるだけで約2万5千人に上る。
 全国初の司法判断として注目された28日の仙台地裁の判決は、旧優生保護法に基づく不妊手術について「不合理な理由で子を望む者の幸福を一方的に奪い去り、個人の尊厳を踏みにじる」と、幸福追求権を定めた憲法13条に違反するとの判断を示した。人生を奪われる苦しみを味わってきた被害者にとってようやくの思いだっただろう。
 思い起こされるのが、「らい予防法」に基づくハンセン病患者の隔離政策を巡る2001年の熊本地裁判決だ。差別的な政策や被害救済を放置してきた国の不作為を認め、元患者への賠償を命じた。当時の小泉政権が控訴を断念し、国会で議員立法による補償金支給法の制定につながる画期的な判決となった。
 しかし今回の判決は、不法行為から20年を超えると賠償請求ができなくなる除斥期間だという国の主張を認め、原告の請求を棄却した。
 提訴した2人は手術から40年以上が経過する。差別条文を削除して法改正された96年の時点でさえ、既に20年がたっている。除斥期間の適用はあまりに形式的な法律論だ。
 さらに被害者救済のため国家賠償法とは別の立法措置がとられなかったことにも、「法的議論の蓄積がなく、立法措置が必要不可欠かどうかが明白ではなかった」と国会の不作為を擁護した。
 しかし、98年に国連の自由権規約委員会が、16年には国連女性差別撤廃委員会が被害者への補償を勧告している。法的議論の機会がなかったのではなく、国際的な批判を政府が無視してきたのだ。
 憲法は、裁判が公平に行われ、特に少数者の権利を保護する職責が果たせるように、「司法権の独立」を掲げている。裁判官は自らの判断で職責を行う独立した存在だ。だが沖縄の基地問題を巡る訴訟を見ても、国におもねるような司法判断が近年目立つ。
 強制不妊訴訟は仙台のほか6地裁で提起されている。国への忖度(そんたく)はあってはならない。司法権の独立を意識した判断を求める。