爆音で米国提訴 司法に問われる市民感覚


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 米軍嘉手納基地周辺の住民約2万2千人による第3次嘉手納爆音差し止め訴訟の原告の一部が、米国政府に対して夜間から早朝の飛行差し止めと損害賠償を求める訴訟を那覇地裁沖縄支部に起こした。

 裁判官は、昼夜の区別なく爆音にさらされ、精神的、肉体的な苦痛を抱える原告住民の訴えを正視し、人命や人権を守る最後のとりでとしての役割をしっかり果たしてほしい。
 「対米訴訟」は2000年の第2次訴訟以来2度目だが、05年の判決は裁判権免除の国際法上の原則に基づき、「裁判権が及ばない」として訴えを却下している。
 原告団は今回、10年に施行された外国に対する民事裁判権を規定した法律を根拠に、「米国は日本の裁判権から免除されない」と主張している。
 これまで日本では外国政府に対し、裁判をほぼ全面的に免除する考え方を採ってきた。だが最高裁は06年に判例を変更し、一律に免除する「絶対免除主義」を改めている。この点を注視したい。
 那覇地裁は司法を取り巻く変化を踏まえてほしい。裁判権免除の原則論を盾に、機械的に訴えを却下することは厳に慎しむべきだ。裁判員裁判で問われる市民感覚を爆音訴訟でも生かしてほしい。
 過去2度の確定判決は、忍耐の限度を超える騒音を違法と認定しながら、飛行差し止めは「国は米軍の活動を制限できない」との“第三者行為論”で退けてきた。
 結果として違法な爆音は放置されたままであり、改善の兆しが見られない。それどころか、騒音防止協定は形骸化し、F22ステルス戦闘機の展開やMV22オスプレイの訓練など騒音は激化の一途だ。
 安全保障に絡む高度な問題として、司法が判断を回避する姿勢は、住民を無視して爆音を放置し続ける日米両政府を追認するにも等しく、到底許されない。
 嘉手納爆音訴訟は1982年の初提訴から30年の歳月が流れたが、爆音が続く限り、住民に多大な負担と苦痛を強いる裁判が、今後も繰り返されることは避けられない。
 「沖縄を取り戻す」との原告団の訴えは、憲法で保障された人格権、環境権、平和的生存権がないがしろにされている沖縄の現状を厳しく問うており、極めて重い。司法は根本的な原因に正面から向き合い、地域住民を米軍機の爆音禍から解き放ってもらいたい。