体罰で生徒自殺 「虐待」根絶の視点必要だ


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 いわれなき暴力を受け続け、前途ある少年が自ら命を絶った。深い悲しみと、加害者への強い憤りを禁じ得ない。

 大阪市立桜宮高の男子バスケットボール部の主将が部活動顧問の男性教諭から顔を殴られるなどの暴力を受け、昨年12月に自殺していたことが分かった。
 生徒は自殺の前日の練習試合で、顧問から「30発から40発殴られた」ことを母親に話している。
 そもそも、いかなる指導においても体罰は許されないが、これはもはや「体罰」という表現は当てはまらない。部活動を続けることが、死を選択するほどの苦痛だったということは、顧問の「体罰」が尋常ではなかったことの証しだ。部活指導に名を借りた虐待であり、犯罪と言えよう。
 一昨年の秋には、大阪市に対し「醜い体罰が横行している」との情報が寄せられていた。学校、教育委員会が適正に対処していれば、悲劇は間違いなく防げたはずだ。男性教諭はもちろん、学校、教育委員会も同罪である。関係者一人一人が猛省し、早急に責任の所在を明らかにすべきだ。
 橋下徹大阪市長は、市長直轄のチームで実態調査に乗り出す考えを表明した。しかしこれは大阪市だけの問題ではない。この悲劇を機に、全国の学校、教育委員会は直ちに徹底調査を行い、部活動での「体罰」「虐待」を根絶しなければならない。
 生徒が自殺する前日の練習試合で、副顧問ら2人が顧問の「体罰」を見ていながら黙認していた。スポーツにかかわる全ての人が、実績や情熱を理由に指導者の体罰を黙認するなら、悲劇はまた繰り返されると心すべきだ。
 それにしても、生徒が発していたSOSを、どうにか受け止めるすべはなかったか、悔やまれてならない。再発防止に向け、関係者が連携し、体罰の監視強化の仕組みを早急に確立する必要がある。
 肉体的な「体罰」とともに、言葉の暴力も、生徒に大きなダメージとなる。生徒の人格形成へ配慮できる人間力ある指導者こそ、今求められている。
 県内でも、少年スポーツを含め「体罰」が顕在化しているケースがある。それを黙認する傾向はないか。勝利至上主義を正し、スポーツを健全なものにするためにも、体罰を繰り返す指導者の排除をためらってはならない。