麻生氏不適切発言 弱者とどう向き合うのか


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 麻生太郎副総理兼財務相が高齢者などの終末期医療について耳を疑う発言を繰り返した。「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』なんて生かされたんじゃかなわない。しかも政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと」などと述べた。

 すぐに「適当でない面もあった」と撤回したが、終末期の病と向き合う患者や家族の心を深く傷付けた。医療費削減のことしか頭になかったのだろうか。
 発言をしたのは社会保障制度改革国民会議の席上だ。同会議で議論する医療の在り方は、社会保障制度改革推進法で「個人の尊厳が重んぜられ、患者の意志がより尊重されるよう必要な見直しを行い、特に人生の最終段階を穏やかに過ごすことができる環境を整備すること」と定められている。
 麻生氏は患者について「チューブの人間」とも表現した。個人の尊厳を軽視した冷淡ともいえる発言であり、これは会議の目指す方向に逆行する。副総理兼財務相という重要閣僚の発言なのだから、安倍政権の弱者と向き合う姿勢に疑問を持たれても仕方がない。
 麻生氏は首相時代の2008年11月にも経済財政諮問会議の場で「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言している。弱者切り捨ての考え方が体に染みつき、なかなか消えないということだろうか。
 終末期医療は延命だけを目的にしたものではない。回復の見込みのない疾患患者の身体的、精神的苦痛を減らし、生活の質の向上など精神的な措置も優先した総合的な医療だ。その在り方を議論する会議で、麻生氏は「残存生命期間が何カ月かと、それにかける金が月に一千何百万円だという現実を、厚生労働省も一番よく知っている」と述べるなど、財政負担ばかりに目を向ける。終末期医療全体の議論に戻さなければ、会議の意義が損なわれる。
 安倍政権は生活保護の支給水準引き下げの動きも具体化させている。生活保護という「最後のセーフティーネット(安全網)」や終末期医療の削減という財政論議ばかりを推し進めれば、社会的弱者を切り捨てる政権との批判は免れない。弱者とどう向き合うか。安倍政権の姿勢を明示するのが先決だ。